「お金・相場」に関する幸福否定 1:要旨

■「お金・相場」に関する幸福否定-要旨


* 用語説明 *

反応:抵抗に直面した時に出現する一過性の症状。例えば勉強しようとすると眠くなる、頭痛がする、など。

抵抗:幸福否定理論で使う”抵抗”は通常の嫌な事に対する”抵抗”ではなく、許容範囲を超える幸福に対する抵抗という意味で使われている。

=幸福否定理論とは=

*人間にとって最も難しい事


・自分が本当にしたいことを
・時間の余裕が十分あるうちから
・(外部の要請のよってではなく)自発的にすること

「たとえば、締め切り間際にならないと課題に手がつけられない者が、まだ時間の余裕が十分あるうちに、その課題に無理やり手をつけようとした場合を考えてみよう。

まず、さまざまな雑念が沸くなどして、 その課題を始める態勢に持ってゆくこと自体が、 非常に難しいであろう。机を使う仕事であれば、机の前に坐るまでに、 実に長い時間がかかる。

努力の末、ようやく覚悟を決めて座っても、 今度は、別のことをしたい気持ちが強く沸き起こってくる。娯楽的なことをしたくなったり、片づけをしたくなったり、 無関係の本や雑誌を読みたくなったり、 横になりたくなったりするのである。これが“現実逃避”とか“時間つぶし” と言われる現象の本質である。

そうした逃避的誘惑を何とかこらえて、 無理に課題に取りかかろうとすると、 今度は反応が起こるようになる。あくびが出たり眠気が起こったりすることもあれば、 頭痛や下痢や脱力などの身体症状が出ることもあるし、鼻水やかゆみや喘息などのいわゆるアレルギー症状が 起こることもある。

さらに抵抗が強くなると、食物やアルコールの乱用に走る者もあれば異常行動に走る者もある。ほとんどの場合は、そうした抵抗に耐え切れなくなり、 そこまで強い反応前にやめてしまうであろう。

しかし、それでも本腰を入れて強行しようとすると 反応はもっと強くなる。

身動きができないほど、 脱力感が強くなったり、急速に眠り込んでしまったり することもあれば、自滅的な行動に耽ったりすることもあるのである。しかし、その努力をやめれば、 そうした症状はたちどころに消える。このような症状は、自分を前向きにしようとする努力 を阻止する形で起こる。これが幸福否定の現れなのである。

ここではまた、締め切り?つまり、外部からの要請がある場合の話である。では、もし締め切りというものがなく、 全く自発的に自分のしたいことをしようとした場合には、 容易に想像がつくように、ほぼ例外なくその課題にほとんど、あるいは全く手がつけられないまま一生を終えてしまう。 」(引用:『なぜあの人は懲りないのか 困らないのか』/ 笠原敏雄著)

筆者の本業は東洋医学の理論を基盤とした施術です。様々な疾患の患者さんを施術するうちに、“治る事に拒否反応を示す患者さん”がある程度の割合でいる事を発見しました。

読者の皆さんの周りにも、心因性疾患に限らず、仕事、家庭、愛情、生きがいなど、各々の問題で、“変わらなければいけないのに、変われない”という悪癖を克服できない方がいるのではないかと思います。

そこで、心理療法家の笠原敏雄先生の幸福否定理論と、それを解決するための心理療法を10年以上に渡って勉強し、治らないと言われている統合失調症の根本改善などを含め、肯定的な結果を得ました。
その後、クライアントの要望があったので、心因性疾患の改善を目的とした心理療法とは別に、生きがい、やりがいというのもを“反応”を目安にして探るという、自己実現を目的とした心理療法を行うようになりました。
しかし、自由時間を自分の好きな事に使う、という段階までは到達できるのですが、
生きがい、やりがいに置いて、多くの人が非常に強い抵抗を有している分野がある事がわかってきました。
一つは芸術活動、もう一つは相場です。
どちらも、本格的にやると非常に強い抵抗に直面する事になり、歴史的に見ても身を崩す人が多いため、世間的には、芸術家になる、投資家になる、というとあまり良い印象がありません。
当初は、相場への抵抗は、“お金儲け”に対する抵抗だと考えていましたが、証券会社において10年単位でプラスになる口座が数パーセントしかないと推測されるなど、経済的に余裕がある人でもうまくいっていない事がわかってきました。

また、筆者は患者さんに心理療法を施すのとは別に、自分自身のやりたい事を探るために、
長年、笠原先生の指導を受けながら、2006年から心の研究室で心理療法の“反応”を通じて、自分自身のやりたい事の探求を続けてきました。

その中で、2009年に著名な経済学者のアダム・スミスが著した『国富論』を読んで非常に強い“反応”が出たこと、また、個人の幸福否定に留まらず、集団が抱える幸福否定というものがあるのではないか?との推測から、“世の中の仕組みを知る”という事も課題の一つとして取り組んできました。

その中で、“信用創造”という、お金の発行の仕組みの話に抵抗が強い事がわかり、話の一部をするだけでも“反応”が出る人が多い事などから、集団の大きな幸福否定が隠れていると推測しています。また、信用創造ほどの抵抗ではないですが、利子、特に複利の理解に関しても、抵抗が強い人が多いのではないかと推測しており、これらの問題を少しずつですが、現在も研究を進めています。

更に、相場のチャートのグラフや値を見るだけで、多くの人に、非常に強い“反応”が出る事がわかり、その中でもUSドル建ての金価格を見ているだけで、強い“反応”が出ることを発見しました。
簡単に研究のポイントをまとめると、


①多くの人が人生の半分以上の時間を、お金を稼ぐことに費やすにも関わらず、

“お金とは何か?”
“お金はどのようにつくられるのか?”


という事を知らずにいる。


ほとんどの人が、“お金とは何か?”という事を一生考える事がないという事が、抵抗だと考えられる。

②多くの人が、相場のチャートや、値を見る事に関して抵抗がある。

投機、資産運用などで相場を勉強する事に抵抗が働き、勉強したとしても、計画通りに行動できないという現象を観察する事ができる。

チャートや値動きを見る事だけで“反応”が出る事を発見したが、その中でも、特に金の値で非常に強い反応が出る。

の二点にまとめる事ができます。
通貨発行の仕組みである“信用創造”、相場チャート共に“金”が関係してきますが、現段階では同一の事を別の側面から見ているのか、同じ通貨としての“金”に関する反応でも、似て非なる原因があるのか?は、はっきりとわかっていません。

また、当初は私個人の抵抗を乗り越えるために研究であり、その後、どうやら多くの人が同様の抵抗を有しているのではないか?との疑問が出てきたため、どこまでが私個人の幸福否定が働いており、どこまでが多くの人に共通する幸福否定なのかという問題もあります。

研究としては、

・全体像をつかめているわけではない。

・自分の反応を探る、という方法論をとったので、一般化できるかはわからない。但し、一般化できると推測できるものがある。

という段階にあります。

研究途中で公表する理由としては、

・お金・相場の“抵抗”を少しずつ明らかにし、乗り越えていくこと

が、最大の目的という点にあります。

金融に関して言えば、10年前に仮想通貨を考慮に入れるのが難しい、また金利がマイナスになるなどの想定が考えられなかったように、時代によって状況が変化するため、理論の完成が難しい分野という側面があります。

また、私は、企業の株価などはほとんど調べていませんが、日本だけでも上場企業が数千社あり、個人で“反応”精査するのは時間的にも不可能と言えます。

そのような理由で、現段階では研究自体が初期段階で、とりあえず発見した事を書いている、という点に留意してお読み頂ければ幸いです。

■ はじめに~筆者と金融についての関わり
まず本論に入る前に、筆者と金融についての関わりを簡単に書いておきたいと思います。

筆者は、政治経済学部経済学科(財政学専攻)を卒業しています。大学入学にあたり学部を選んだ動機としては、単位を取るのが楽だからという、安易な考えで、特に勉強したいという目的はありませんでした。

その後、音楽活動ばかりやっており、学部の授業にはほとんど出ていませんでしたが、
大学3年生時に体調を崩し、山一証券の倒産の翌年という時期も重なり、就職活動が満足にできない状態になりました。
その時に、税理士資格の勉強でもしてみたらどうだ?という親の勧めで、税理士試験の科目免除がある大学院を受験するために、経済学を約1年間勉強しました。古典派経済学、ケインズ経済学、財政学、簿記などを主に勉強していたのですが、当時、“イノベーション”というキーワードと共に、再注目されていた経済学者のシュンペーターなども積極的に読んでいました。
“信用創造”については、シュンペーターも言及していますが、“信用創造”の仕組みを詳しく書いていなかったため、当時から用語だけは知っていたが、内容は理解していなかった事になります。
その後、更に体調が悪化し、2000年に東洋医学の治療を受け、劇的に改善してから、代替医療の道に入ったために、経済の勉強は中断しますが、2005年頃から、資金に多少の余裕ができたので、資金運用のため、相場の勉強をはじめました。
大学時代に勉強した財政学でも、国の借金が多すぎるため、このままだと国家破綻を免れないという論調があり、また、施術のレベルを上げていく事と、経営者の視点で、経営を成り立たせる事は別物だという考えが早くからあったために、長期的な視野での資金の使い方を習得したいという考えもありました。
勉強をはじめてすぐに、トップレベルのヘッジファンドでも、年利10%の利回りを出すのは容易ではない事、平均3%の利回りを長期に渡って出すことさえ難しい事、また、複利効果で、数パーセントの利回りでも長年続けると、大きな利益を出せる事がわかりました。

また、2006年から、笠原敏雄先生の「幸福否定理論」の勉強を始めましたが、相場の書籍や、実際に投資家の友人から聞いた話からも、相場の世界には幸福否定と思われる現象が非常に多いように思えました。

しかし、相場関係の書籍の多くは、事実に忠実に書いてあるというわけではなく、(恐らく話を膨らませて)エピソード的に書いてある事例が多いため、研究や引用などは控えてきました。

トレードをやっている時、自分自身のルールをすぐ破ってしまう、また、実際にチャートを精査する時に、体力では説明できない疲れを感じる、頭痛やだるさ、その他の身体症状が出るなど、「幸福否定」が関係している事には気づいていましたが、“お金儲け”の裏に、それほど重大な幸福が隠れているわけはない、と考えてしまい、それ以上の研究をすることをしませんでした。

当時は“相場の世界にも幸福否定は当然あるだろうが、あくまでも”お金儲けに対するもの、また裕福になる事によって自由を得る事が原因”という認識しかなかったため、それ以上の着想を持つ事ができなかったという事になります。
資金が大きくなかったため、損失は数十万円程度で済みましたが、2008年に店舗物件を購入し、幸福否定理論の勉強にも時間を取られるようになったので、相場は一時的に止めていました。
それから1年経ち、2009年に、アダム・スミスの『国富論』を読んで、非常に強い「反応」が出たのをきったけに、また経済学の勉強を余暇にするようになりました。

アダム・スミスの『国富論』、マルクスの『資本論』の解説本、ミルトン・フリードマンの『資本主義と自由』、フリードリッヒ・ハイエクの『隷属への道』などを読みましたが、アダム・スミスの『国富論』以外は、特に強い「反応」が出たものはありませんでした。

この時も、経済・金融の範囲では『国富論』以外に強い反応が出る対象がなかったことや、2011年から芸術作品の反応のほうに関心が移ってしまったため、中途半端な状態で、金融や相場における「反応」の研究は、数年間放置する事になります。

但し、関心がなくなったわけではなく、後述する“信用創造”の仕組みは、Youtubeでの解説動画を見て、より深く知っていたので、「紙のお金」(実際は銀行の帳簿上で創り出す不換紙幣)に対する不信感というものがあり、2014年頃にはビットコインなど仮想通貨や
ブロックチェーンなどの書籍を読み、その方面に期待もしていました。(仮想通貨を買う事はしませんでしたが、理由は後述しようと思います。)


参照動画:MONEY AS DEBUT
その後、2016年に日本円がマイナス金利になり、長期国債の買い手がなく、値がつかなかったというニュースなどを見て、ある程度通貨破綻の可能性も考えないといけないと感じるようになり、現状を勉強し直す事にしました。

この時は、既に10年近く自分自身の抵抗を弱める“感情の演技”をやっていた事もあり、チャートから分析するという事ができるようになっていました。

但し、長時間、チャート分析を行うと頭痛や、寝付きが悪くなるという症状が出るので、時間をある程度区切りながら作業を進めています。

その結果、チャート分析を通して、自分自身の世界観を一から作り直さなければならないほどの、常識とは全く違う世界が見えてきました。

2017年頃から、これらの問題の重大性に気が付き始め、現在は本業の傍ら、多くの時間をかけて“お金・相場に関する幸福否定”の研究をしています。

この文章を書いている2019年末の段階では、「お金」や「相場」に対する全体的な抵抗は、「お金儲け」に対する抵抗ではなく、より深く本質的な部分に関係があるのではないか?と考えるようになっています。

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