芸術と潜在意識 追補編①:『フーガの技法』による”多機能性” “同時成立”の解説

連載【芸術と潜在意識】とは?

筆者が【幸福否定の研究】を続ける上で問題意識として浮上してきた、「芸術の本質とは何か?」という問いを探る試み。

連載の流れは以下のようになる。

・現状の成果…龍安寺の石庭の配置を解く
・スタンダール症候群の説明
・鑑賞時に<反応>“が出る作品
・鑑賞時に<反応>が出やすい条件
・芸術の本質とは何か?

=用語説明=

反応:抵抗に直面した時に出現する一過性の症状。例えば勉強しようとすると眠くなる、頭痛がする、など。

抵抗:幸福否定理論で使う”抵抗”は通常の嫌な事に対する”抵抗”ではなく、許容範囲を超える幸福に対する抵抗という意味で使われている。

■はじめに—追補編について

前回でいったん最終回とした連載【芸術と潜在意識】では、笠原敏雄氏の幸福否定理論に基づく心理療法から出発し、”反応”を追いかけるという指標を使いながら、 芸術の本質に迫るという試みの過程を書きました。

その結果、最終回までに、”多機能性”、”同時成立”といった要素を有する芸術作品鑑賞時に強い”反応”が出るのではないか? との仮説を立てるに至りました。

今回はその追補編として、当連載の一番重要な部分である、第9回で書いた内容に対して、動画も使って詳しく説明していきたいと思います。

■西洋音楽史の流れ—調和の発見

第9回では、バッハ作曲『フーガの技法』を通して”多機能性”、”同時成立”について説明しましたが、今回はそこへ入る前に、まず、ピタゴラスによる”調和”の発見と、クラシック、ジャズ、ブルース(ロック)など、調和から外れた音を使えるようにするか?という”機能”を創造をしてきた歴史でもある西洋音楽史の流れを簡単に説明したいと思います。

次に、それらに対してバッハ作曲の『フーガの技法』が、”多機能性”、”同時成立”という点で非常に特異であり、全く違うアプローチをしている点を解説したいと思います。

約2500年前になりますが、ピタゴラスが弦を使って、ドとソが最も調和する音程であるという事を発見しました。万物は数であると考えていたピタゴラスは、振動比が2:3になるドとソの関係が最も調和すると考え、実際に最も調和するという事を実験で確認しています(参考文献:小方厚『音律と音階の科学』)

この、「ドとソの関係(1度と5度)が最も調和する」という関係は、クラシック、ジャズ、ポップスにおける音階の土台にもなっており、今日まで調和の法則として用いられ、それを覆す理論は出てきていません。ここに最初の”機能的”発明があります。

*注:音楽の理論を勉強したことがない方は、私がYouTubeにアップした動画で音階の関係を確認してください(以下、参照動画はすべて私の作成したものです)。ド(1度)、レ(2度)、ミ(3度)、ファ(4度)、ソ(5度)、ラ(6度)、シ(7度)で、譜面の場合は、ローマ数字(Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ,Ⅳ,Ⅴ~)で表記します。


参照動画:『1度と5度の調和の発見』
■西洋音楽史の流れ—機能的発見と西洋音楽の発展

その後、中世から17世紀にかけて、コード進行の理論は複雑化、高度化しますが、18世紀初頭に、パッヘルベル、ヘンデル、バッハらによって、コード進行が最適化されます。現在、ジャズで多用されるツーファイブワン(ⅡーVーⅠ)や、ブルースのコード進行であるワンフォーファイブ(ⅠーⅣーⅤ)、ポップスで数万曲は使われているのではないかと思われる、パッヘルベルの Canon In D Major などがこの時代に整理されたコード進行になります。


参照動画:『コード進行の最適化』


参照動画:『BACH:BWV846 C major prelude』
西洋音楽の旧約聖書と言われる、バッハの『平均律クラーヴィア集1巻』1曲目の BWV846 C major にコードを付けてみたので、関心のある方はご覧ください。

動画を見て頂けるとわかると思うのですが、この時代からコード進行の最適化に加え、転調を頻繁に繰り返すという作曲方法が出てきます。ピタゴラスの時代から音階の調律も工夫を重ねられてきましたが、方向性としては「どの調律が一番完璧なのか?」という目的で、様々な調律がつくられていました。詳細は省きますが、2:3の比率、ドとソの関係を最適として、次はソの5度上のレ、と音階をつくると、12音階が均一にならずに、幅の広いところと狭いところが出現し、転調には向いていない事になります。

その後、恐らく17世紀~18世紀にかけてだと思われますが、Well-Temperamentや平均律という調律法が開発されます。これらの調律は、簡単に言うと細かい誤差は無視して12音を平均化し、転調を優先させる事を目的とした調律です(この調律は現在でも使われていますが、誤差を無視している関係上、多少ではあるものの、音の濁りが出てきます)。

17世紀以前の時代にも転調はありますが、転調を頻繁に繰り返して最適化されたコード進行を頻出させるというのがこの時代の特徴です。これも”機能的”発明と言えるでしょう。一曲の中で、いくつものKeyが出てくるため、それまでに使えなかった音が使用できるようになりました。パッヘルベル、ヘンデル、バッハの時代の音楽は、時代や地域を選ばず未だに世界的な支持を得ているので、西洋音楽がローカリティを超える市民権を得た、画期的な発明と言っても過言ではないと思います。

さらに、20世紀に入るとジャズとブルースが出てきます。ジャズは、コード上の修飾音として様々な音を使うことができるという発見によって大きな展開を開き、また、構成音が似ており、代わりに使えるというコード(代理コード)の理論も発展させました。


参照動画:『テンションコードと代理コードの解説』

これらの、「修飾音を使う」「代わりのコードを使う」という機能的な発見により、それまで使えなかった音が、新たな調和関係を伴い使用できるようになりました。

また、ブルースでは、本来は相容れない、メジャースケール、マイナースケールを、メジャースケールの上で、マイナースケールの5つの音を使ったマイナーペンタトニックスケールが使える事を発見し、
今日の大衆音楽を形成するまでに発展しました。これも、”機能的”発見だと考えられます。(注1)

この発見により、瞬く間に音楽が一般大衆のものとなりました。「メジャースケールの上でマイナースケールを弾く」というやり方は、バッハもやっていない事なので、ロックやポップスなどの大衆音楽を芸術ではないと考える人もいるようですが、個人的には”機能の発明”という観点からも、立派な創造だと考えています。


参照動画:『ブルーススケールの解説』

■フーガの技法と多機能性、同時成立

以上まで、西洋音楽の歴史と、”機能性”の発見の説明を書きましたが、今度は、本連載で取り上げた『フーガの技法』と”多機能性”について説明したいと思います。

まず、『フーガの技法』もコード進行だけ見ると、特にこの時代の他の曲と違う点は見当たりませんでした。転調を繰り返しながら、最適化されたコード進行を使うという作曲法が使われています。


参照動画:『フーガの技法:対位法1 / コード分析』

■4度音程の多機能性

しかし、分析をするうち、フーガの技法:対位法1において、4度と6度の音程の跳躍が頻出する事に気がつきました。4度音程とは、ドを下、ファを上にすることで出来ます。ド・ミ・ソを同時に弾くとCのコードになる事はご存知の方が多いかと思いますが、ドとファを使った場合、ファを下、ドを上にすると5度音程、ドを下、ファを上にすると4度音程をつくる事ができます。


参照動画:『5度音程と4度音程の比較』

上記の動画を見て頂けるとわかると思うのですが、5度音程のドとファが含まれている、コードFとDmのほうが違いがわかりやすく、それに比べ、4度音程のドとファが含まれている、コードFとDmは聴き分ける事が難しくなります。5度音程のドとファの場合は、コードはFになり、Dmの解釈はできないのですが(厳密に言えば、前後の流れからDmになる事もあります)4度音程の場合は、F、Dmのどちらの省略形とも解釈できます。

このように、一つの関係性で「どちらとも解釈できる」、あるいは「2つ以上を同時に表現」している場合に”多機能性”という用語を使っています。長くなりすぎるため、ここでは説明を省きますが、6度の音程も同様の特徴を持っています。


参照動画:『フーガの技法:対位法1の4度跳躍と6度跳躍』

定義付けがはっきりできる1度、3度、5度が頻出する部分と、意図的に多機能性を持つ4度と6度を多用している部分がある事がわかると思います。

■フーガの技法:カノン4(Canone alla duodecima)/コードの同時成立

次に、同じ『フーガの技法』の中でも、比較的反応が出やすいCanonⅣ(Canone alla duodecima)という曲を見ていきたいと思います。(注2)

この曲では、旋律を使い、本来は順番に弾くコード進行(Ⅰ-Ⅴ)を同時に表現する試みがなされています。


参照動画:『Canone alla duodecima / 冒頭部分解説』


参照動画:『Canone alla duodecima /一曲を通したコード分析,()内が同時に表現されているコード』

これも全体の流れから、Dmというコードという事が判断できますが、旋律の中でA7というコードも表現しています。部分的に見れば、DmともA7とも取れるので、「どちらとも解釈ができる」「2つ以上を同時に表現している」と言えます。

上記のような観点で、『フーガの技法』という曲集の譜面を見直した時に、様々な”多機能性”、”同時成立”の工夫が試みられている事がわかりました。現時点では、その試みこそ、バッハが『フーガの技法』という曲集でやろうとした事の本質であると考えています。

以上が”多機能性”、”同時成立”の説明となります。 音楽理論に詳しい方は、ジャズでも2つのコードを同時に弾く事がある事をご存知だと思います。 例えばC7(9,+11,13)というコードは、Cの上にDが乗っているコードとなり、これも成立します。

しかし、この場合はほとんど反応が出ません。

その理由を考えていたのですが、バッハの譜面の分析をしている時に、バッハの”同時成立”には優劣がない、もしくは極力少なくしている、という事がわかりました。ジャズのC7(9,+11,13)の場合、あくまで主はC7で修飾でDを形成している事になります。このあたりは、もう少し深く分析をすれば、さらに様々な事がわかると思うので、更に研究を進めたいと考えていますが、今回は、現段階でわかっている事という事で、ここまでに致します。

このような形で、今後も不定期にはなりますが、追補編として具体的にわかってきたことを公表していきたいと考えています。独力でやっているがゆえに、気が付かない修正点もあるかと思いますので、ご意見、ご感想、ご批判などを頂ければ幸いです。

連絡先:ファミリー矯正院 心理療法室

=注釈=

注1: 2015年にジャズ理論を習ったのですが、チャーリー・パーカー、チャーリー・クリスチャン、セロニアス・モンクといったモダンジャズの創始者とされるミュージシャン達は、多様な解釈を生み出しているため、多機能性という側面も持っていると考えています。今後、時間的に可能であれば分析してみたいと思っています。

注2: Canone alla duodecimaの上記の動画を聴いても反応が出ない方も多いと思います。私自身は、ANTON BATAGOVというロシアのピアニストの録音を研究対象としていました。著作権の関係もあり紹介できないのですが、この作品は、電子ピアノで演奏されているのですが、ほとんど強弱をつけずに、非常に遅いテンポで演奏されているがゆえに、曲の構造がはっきりと聴き取れます。 同曲は、BATAGOVの演奏では9分48秒あり、私が作成したHTMLタグ編集譜面ソフトの自動演奏では同様の弾き方に近づけることができませんでした。 ANTON BATAGOVの演奏は非常に反応が出やすいので、関心のある方は、他の曲になってしまいますが、参考にしていただければと思います。


Bach: Prelude in E-flat minor. Anton Batagov, piano

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