* 本連載の目的 *
本連載は、一次資料をもとに自分自身の頭で考えるというテーマで書いた『「お金・相場」に関する幸福否定の研究』の続編として位置づけています。
心理療法家の笠原敏雄先生が提唱した、「反応を追いかける」という方法論を使って明らかになった事や、経緯を書いていますが、主張内容は筆者個人のものです。
また、権力者や専門家を批判する内容もありますが、一般大衆の態度や要求も問題にしており、特定の層を糾弾する意図はありません。集団における異常行動の原因となる、幸福否定理論で説明できる心理的抵抗の検証を目的としています。
*大まかな流れ*
『「お金・相場」に関する幸福否定の研究』において、「お金とは何か?」という事に対して、多くの人において抵抗が強い事がわかりました。
その後、「核兵器・原子力」の分野と、「土壌」という分野においても、集団での抵抗がある事がわかっています。
本稿は、「核兵器・原子力」の集団抵抗と、その背景にある社会システムの分析過程という位置づけになります。
* 用語説明 *
幸福否定理論:心理療法家の笠原敏雄先生が提唱。心因性症状は、自らの幸福や進歩を否定するためにつくられるという説。娯楽は難なくできるのに、自らの成長を伴う勉強や創造活動に取り組もうとすると、眠気、他の事をやりたくなる、だるさ、その他心因性症状が出現して進歩を妨げる。このような仕組みが特定の人ではなく人類にあまねく存在するという。
抵抗:幸福否定理論で使う”抵抗”は通常の嫌な事に対する”抵抗”ではなく、許容範囲を超える幸福、自らの成長・進歩に対する抵抗という意味で使われている。
反応:抵抗に直面した時に出現する一過性の症状。例えば勉強しようとすると眠くなる、頭痛がする、など1985年の日航ジャンボ機墜落の疑惑に関して、国、官庁、専門家、報道関係などのいわゆる「権威」の実態と、大衆の側の問題点という視点で書いてみたいと思います。
広島原爆黒い雨の中のU-235/U-238比
藤川 陽子∗(京都大学原子炉実験所) 静間 清(広島大学大学院工学研究科) 遠藤 暁(広島大学原医研国際放射線情報センター) 福井 正美(京都大学原子炉実験所)
1 はじめに
広島原爆由来のローカルフォールアウトに関する報告は少ない。一方、爆心から3km以上離れ、 直接ガンマ線や中性子線の被ばくの可能性の低い地域で、魚の斃死や住民の下痢等があったとする証 言が存在する等、原爆による被害の実像と理論的に推定されうる被害の間には、依然として乖離があ る。被害の正当な評価には、放射性降下物の分布も含めた被ばくの全貌の解明が必要である。(中略)
6 まとめ
1)広島原爆の黒い雨には、核分裂生成物のCs-137、天然存在比に比べて過剰のU-235、鉛等の重金属が含まれていた。ただし、白い雨、赤い雨にはCs-137は少なく、U-235は検出されなかった。
2)被爆直後に採取された広島の土壌(硝酸抽出画分)からは、ほぼ天然比のU-235が検出された。 本当は過剰のU-235が検出されるはずであったので意外な結果であった。
3)被爆直後に採取された広島の土壌(硝酸抽出画分)からは、過剰のU-234が検出された。ただし 抽出方法のartifactの可能性が高い。
4)現代の広島の土壌(日渉園)からは極微量の過剰のU-235の存在の可能性が示唆された。
5)しかし日渉園で発見されたU-235は期待された量より少なかった(50kg U-235/半径5km均等 分布で、U-235/U-238比の数割アップが期待できる)。
6)U-235/238 同位体比測定精度は、ICP-QMS(四重極MS、京大側)とMC-ICP-MS(マルチコレクター ICP-MS、ローレンスリバモア研)との相対誤差にして0.2%内外に収まり、広島原爆関連の試料に ついては京大炉の装置で支障なく分析できることが確認できた。
次に、パルマー氏の主張になります。
広島と長崎のどちらの調査でも、想定される核爆発に見合うだけの放射性降下物について、明確なエビデンスは得られていません。長崎近郊のプルトニウムとセシウム137の濃度はそれなりに高いものの、原爆の核分裂収率とは一致しません。しかもその時期は、原爆が投下された時期とも一致しません。そうした放射性核種は約2年後にもたらされた可能性が高く、それはコンプトン(筆者注:米国の物理学者。ノーベル物理学賞受賞。マンハッタン計画の重要人物。1945年の「暫定委員会」において、プルトニウムを得るまで、1946年1月からはじめて、1年半かかると発言)が推定したプルトニウム利用可能時期とよく一致しています。広島原爆の降下物の研究については、以下のようにまとめられます。
1 降下物中に高濃度のウラン235が含まれていたというエビデンスは存在しません。土壌や現地で乾燥した黒い雨に対する測定では、同位体の濃縮度が非常に低いと報告されているだけです。濃縮度の高さについてはかつて公式談話で語られたことがあるだけで、この前提にもとづいて計算を行っても、爆弾に含まれていたウランの絶対量はほぼゼロであったことが示されます。
2 広島原爆に起因するセシウム137は容易に検出されますが、それらの値は、のちの原爆実験に起因する地球規模の放射性下降物の値よりも、十分に低いレベルにとどまっています。しかし、詳細がはっきりしているサンプルにおいては、それでもなお、広島原爆の公式談話で主要ポイントとなっているウラン235の、きわめて少ない計測量から予想されるセシウムの量を超えています。
3 地球規模の放射性降下物から保護されていたサンプルにも、ウラン235爆弾の爆発による生成とは相容れない量と同位体組成のプルトニウムが含まれています。これらの観測結果は、どれも「リトルボーイ」に関する談話に当てはまりません。むしろ、「汚染爆弾・汚い爆弾」などによる原子炉廃棄物の拡散パターンと一致しています。また、測定されている同位体比は大きなばらつきを示していますが、これはさまざまに異なる段階の放射性廃棄物が使用された(撒かれた)ことを示唆しています。その内部では、低濃縮ウラン235(原子炉燃料)が異なる程度で核分裂していたと考えられます。
(引用:『偽装された原爆投下』 p114~115- ミヒャエル・パルマー著 原田輝一訳)
核分裂生成物の収率
特定の核種あるいは特定の質量数の核分裂生成物を生ずる核分裂の全核分裂に対する比をいう。ふつう百分率で表し、その合計は200%になる。例えば、U−235と熱中性子によるI−131の収率は約3.1%、Cs−137のそれは6.15%である。(引用:原子力百科事典 ATOMICA)
*自然界にある天然のウランと、原子爆弾の濃縮ウランの比率
天然ウラン:ウラン235が約0.72%、ウラン238が99%以上。濃縮ウラン:ウラン235が約80%、ウラン238が約20%(参考:『偽装された原爆投下』 p9~11)
*ウラン234とウラン238の比率
ウラン238が崩壊すると、ウラン234が生成される。ウラン234の原子量は、ウラン235に近いので、一緒に濃縮される。原子爆弾に使用された濃縮ウランのウラン234の放射性活性は、ウラン238の倍に約500倍を上回る。(ウラン235、0.72%を100倍以上にして、80%。99%のウラン238を5倍に希釈して、20%)(参考:『偽装された原爆投下』 p88)
研究されたほとんどのサンプルで、同位体比は天然ウランの比率とごくわずかしか違っておらず、爆弾由来のウランの量はごくわずかでした。もっとも高い比率は、石膏ボードの上端から採取されたサンプルで測定されました。この部分はボードの表面とは異なり、家の住人によって雨(筆者注:爆弾投下後に降った黒い雨)が拭き取られていませんでした。このサンプルで観察された比率が0.72%であるのに対して、0.88%でした。この結果によると、サンプル中の全ウランのうち、わずか0.2%弱だけが爆弾に由来していた事になります。(中略)
1945年8月6日、ウラン235とセシウム137の両方が広島に降下した、と結論付ける事は可能です。しかし、放射性下降物のウラン235の割合が非常に少ない事は、核爆発という話には適合しません。(『偽装された原爆投下』p11~12)
以下が、静間氏らによる『広島原爆黒い雨の中のU-235/U-238比』に、掲載されているウラン235とウラン238の比率の表になります。

やはり、パルマー氏が指摘するように、爆弾由来のウランは、極僅かとなっています。
理論値だけを考えると、原爆由来のウラン235対ウラン238は約80対20になります。もちろん、分散したり、土の中に沈むなどの作用があるため、そのままの値が出てくる事はありません。しかし、ウラン235の割合が0.72%から僅か0.2%弱上昇している、つまり99%以上はウラン238で構成されているサンプルを、原子爆弾由来と結論付けるのは無理があると筆者は考えています。
次に、ウラン234と238の比率について見ていきます。物理学者の高田純氏(札幌医科大名誉教授)が1983年に行った研究によると、ウラン234と238の放射能比に関する研究(Uranium Isotopes in Hiroshima “Black Rain” Soil)に関する、パルマー氏の見解を見てみます。
希釈液を用いて回収したサンプルでは、ウラン234の活性がウラン238の活性を上回っていましたが、約1.15倍の差しかありませんでした。兵器級高濃縮ウランにおいては、その活性比は約500倍であったことと比較してください。このわずかな過剰は、黒い雨が降った地域のサンプルでのみ観察され、それ以外の対照地域のサンプルでは観察されませんでした。(p89)
この調査においても、理論値では500倍になるウラン234の活性と、ウラン238の活性が、僅か、1.15倍という結果になっています。やはり、原子爆弾由来のウランが存在すると断定するのは無理があるのではないでしょうか?高田氏の調査結果に関して、パルマー氏は原子爆弾由来の放射性物質ではなく、検出される微量の放射性物質のばらつきや、広島には存在するはずがない、戦後の核実験由来ではない可能性が高いプルトニウムまで検出されている事から、放射性廃棄物である可能性が高いという主張をしています。
この点については、本稿では割愛しますが、関心のある方は、『偽装された原爆投下』の第3章を読んで頂ければと思います。
筆者は、パルマー氏が採用しているデータに偏りがないか、日本側の資料もいくつか目を通してみました。以下は、放射性降下物研究の第一人者である、京都大学複合原子力科学研究所の今中哲二氏の広島・長崎原爆による被曝量評価と影響研究の紹介 からの引用になります。
黒い雨山間部で原爆由来放射能の 痕跡を検出する試み ■ 広島市周辺土壌中のセシウム137測定調査 ■ 広島原爆由来のウラン同位体(U236、 U235)測定調査 ■(戦後に建築された家屋の)床下土壌中 の放射能測定調査 ■ (原爆雲のシミュレーション計算)残念ながら、いずれも原爆由来の放射能を示す確か な成果が得られていない!(引用:『広島・長崎爆弾による被曝量評価と影響研究の紹介』/ 今中哲二著 p48)
以上、筆者は、現時点での総合的な判断として、パルマー氏の主張は十分な根拠があると判断しています。
次に、長崎の放射性降下物を見てみます。
=長崎の放射性降下物=
*西山貯水池から検出された放射性物質の不自然な層
長崎については、投下された爆弾は公式にはプルトニウム型の原子爆弾と言われています。故に、爆弾由来の放射性降下物は、プルトニウムになります。この点、戦後に行われた核実験において、地球全体にプルトニウムが降下しているため、ウラン型の爆弾とされている広島よりも、判別が難しいという問題点があります。
その点も踏まえた上で、パルマー氏は、長崎における放射性降下物は、放射性廃棄物であるという主張をしています。
以下、引用になります。
長崎原爆(以下、ファットマン)ではプルトニウム239が使用されました。その後の数十年で実験されたほとんどの核爆弾も同じプルトニウムですが、長崎での同位体組成の分析は、1945年の局地的な降下物とその後の地球規模の降下物を区別するのにあまり適していません。しかし、それを埋め合わせることができるサンプルが一つあります。長崎では、爆心地から3キロメートル離れた西山貯水池とその周辺で、もっとも激しい放射性降下物が発生したと報告されています。國分(筆者注:國分陽子氏、論文執筆当時は日本原子力研究開発機構研究員)らはこの貯水池の底部堆積物を分析し、降下物が堆積した時期を調べました。(筆者注:Depositional records of plutonium and 137Cs released from Nagasaki atomic bomb in sediment of Nishiyama reservoir at Nagasaki)プルトニウムとセシウムが検出された最下層は、堆積物中の435~440センチメートルの深さでした。この層は、もっとも古い(つまり長崎原爆の)放射性降下物を含んでいるはずです。堆積物のサンプルには、可視的な灰燼(かいじん)粒子(筆者注:燃えた後の灰や殻の粒子)が、1層だけ含まれていました。著者はこれを燃焼していた都市からの煤(すす)が堆積した、と考えるのが妥当であると言います。興味深いことに、この層は堆積物中の約450センチメートルの深さで発見されています。この研究は原爆投下から63年後に発表されているので、堆積は年平均として約7cmで起こっています。この速度が均一であったと仮定すると、10~15センチメートルの間隔は約2年に相当します。この研究の著者は、活性のピークと灰燼粒子のピークが乖離していることを認めつつも、この放射能はファットマンの降下物に起因するとしています。(『偽装された原爆投下』p100~102)
要約すると、
・長崎における爆弾投下に伴う灰の層は、西山貯水地の深さ450センチメートルの層にある。・しかし、原爆由来であるプルトニウムとセシウムは、深さ435~440センチメートルの層で発見された。約2年後に堆積したと推定される。・本来、沈殿するはずの放射性降下物が15~20センチメートル程、浮上した事になり、不自然である。
という主張になります。
2年の誤差については、パルマー氏は、当時の記録を根拠に、1945年当時は原子爆弾に必要なプルトニウムを造る事はできず、プルトニウムが造れるようになった時期と、西山貯水池のプルトニウムの層が一致している、と結論付けています。
以下、パルマー氏が根拠としている記録の引用になります。
「暫定委員会」は1945年に招集され、有力な科学者と政治家から構成されました。将来の軍事用・民生用の原子力エネルギー利用について審議し、助言することを目的としていました。暫定委員会には、ロバート・オッペンハイマー、エンリコ・フェルミ、アーサー・コンプトン、アーネスト・ローレンスなどの著名な物理学者が参加しており、その全員が1945年の5月31日の会議に出席していました。以下はこの会議録からの引用です。(筆者注:“Notes of the Interim Committee Meeting Thursday, 31 May 1945, 10:00 A.M. to 1:15 P.M. – 2:15 P.M. to 4:15 P.M., ” n.d., Top Secret)“コンプトン博士は、開発のさまざまな段階について説明した。第一段階はウラン235の分離に関与しており、第二段階は増殖炉を使ってプルトニウムや新種のウランを得て濃縮することに関与していた。第一段階は現在の原爆の材料を得るためで、第二段階は現在の原爆よりも爆発力が飛躍的に向上した原爆をつくるためだった。濃縮された物質の生産は、現在では数百ポンドのオーダーであり、稼働規模を十分に拡大して、何トンも生産できるようにすることが考えられていた。第二段階の産物から製造される爆弾は、その時点ではまだ実現していなかったが、そのような爆弾の実現は、科学的には確実であると考えられていた。この第二段階の実現には、1946年1月からはじめて、技術的、治金的な困難を考慮すると1年半、大量のプルトニウムを入手するには3年、競合相手が追いついてくるにはおそらく6年かかると予想されていた。”(引用:『偽装された原爆投下』p109)
この暫定委員会に関しての、パルマー氏の意見は、後ほど引用する事にして、その前に、もう一つの不自然な点である、プルトニウムとセシウムの核分裂収率に比率について見てみたいと思います。
*不自然なプルトニウムとセシウムの比率パルマー氏は、西山貯水地から検出された放射性物質の核分裂収率に関しても、不自然な点がある事を指摘しています。
堆積物中のプルトニウムとセシウムの比率を調べてみると、もう一つの矛盾が浮かび上がってきます。三つの同位体(プルトニウム239,プルトニウム238,セシウム137)の半減期と、内挿法で推定できる堆積物層の年代と、核分裂反応あたりのセシウム137の生成率約6パーセント(核分裂収率)とを用いて、その層に含まれる放射性降下物の核分裂収率を計算する事ができます。(中略)プルトニウムの活性は360~390センチメートルの間では低いのですが、戦後に行なわれた核実験の降下物が含まれている可能性が高いこの層では、20~40パーセントの範囲で核分裂収率が見られます。しかし、さらに深く進み、ファットマンのプルトニウム活性の大きなピークに達すると、核分裂収率は5パーセント以下に低下します。定説によれば、ファットマンには6.2キログラムのプルトニウムが含まれていました。そのうち1キログラムが核分裂したとされており、これは核分裂収率16パーセントに相当します。このように、ファットマンの降下物が含まれているとされる堆積物層において、観測された同位体比から明らかになる核分裂収率はせいぜい5パーセントで、公式談話とは異なります。前述したように、観測されたこの矛盾は、一般的には受け入れられないものでしょうが、物理的には簡単に説明できます。灰燼と放射性同位元素は異なる時期に貯水地に入ったがゆえに、堆積物の異なる層で発見されているのです。したがって、この放射能はファットマンによって生み出されたものではありません。このことは、原子爆弾の核分裂収率と一致しない同位体比の説明にもなります。(引用:『偽装された原爆投下』p103
西山貯水地で検出されたプルトニウムの核分裂収率は、核爆弾の3分の1以下の値でした。
これらの日本側の研究を踏まえて、パルマー氏は、長崎に投下された爆弾についても原子爆弾ではないと結論付けています。
パルマー氏の指摘に加え、爆弾投下地点から約3km離れた場所に集中的にプルトニウムが存在する事が、そもそも不自然であると考える事ができます。
また、上述の暫定委員会に関して、パルマー氏は、
(前略)当時使用可能だったウラン235爆弾は「リトルボーイ」だけであり、プルトニウム239爆弾はアラモゴードと長崎に使用された二つだけだったというのが主流の原爆伝承です。全体として、この驚くべき議事録は、この伝承の二つの重要な局面と矛盾します。ウラン235爆弾は「現在生産中」と主張を信じるべきなのでしょうか。「濃縮物質」が少ないということは、原子炉級のウランでもまだ不足していたことを示しています。つまり、はるかに濃縮されたウラン235が、原子爆弾の製造が可能になるほど大量に入手可能だったというのは、作り話であることは確かです。レスリー・グローブスをはじめ、この会議に出席していた科学者たちは、そうした実態を知っていたことでしょう。したがって、ウラン爆弾がすでに製造されているという虚構の話は、この会議に出席していた政治家や軍人に対して、真相を知られるよう語られたのだと思われます。出席者の中には、ヘンリー・L・スチムソン陸軍長官、もうすぐ国務長官になるジェームス・F・バーンズ、ジョージ・C・マーシャル陸軍参謀総長らが名を連ねています。彼らはウラン爆弾には騙されたかもしれませんが、アラモゴードや長崎で爆発したのはプルトニウム爆弾だったという話を聞いた時には、それが本当ではないことをすぐに理解したはずです。このようにこの会議録は、科学者と政治家と軍人がかかわった、二枚舌と欺瞞がいかに酷かったかを物語っています。(引用:『偽装された原爆投下』p111~112)
パルマー氏の主張が正しいと仮定すると、1945年当時の科学者、政治家、軍人らが原子爆弾がフィクションであると知っていながら、存在するかのように行動していたことになります。このような事が現代社会で起き得るのでしょうか?
筆者は、2020年以降の遺伝子兵器の疑いが強いパンデミックに対する、科学者、政治家、軍らの対応を考えると、十分にあり得ると考えています。
以下、黒い雨訴訟に関する、当時の菅首相の談話の抜粋になります。
本年7月14日の広島高裁における「黒い雨」被爆者健康手帳交付請求等訴訟判決について、どう対応すべきか、私自身、熟慮に熟慮を重ねてきました。その結果、今回の訴訟における原告の皆さまについては、原子爆弾による健康被害の特殊性に鑑み、国の責任において援護するとの被爆者援護法の理念に立ち返って、その救済を図るべきであると考えるに至り、上告を行わないこととしました。皆さま、相当な高齢であられ、さまざまな病気も抱えておられます。そうした中で、一審、二審を通じた事実認定を踏まえれば、一定の合理的根拠に基づいて、被爆者と認定することは可能であると判断いたしました。今回の判決には、原子爆弾の健康影響に関する過去の裁判例と整合しない点があるなど、重大な法律上の問題点があり、政府としては本来であれば受け入れ難いものです。とりわけ、「黒い雨」や飲食物の摂取による内部被ばくの健康影響を、科学的な線量推計によらず、広く認めるべきとした点については、これまでの被爆者援護制度の考え方と相いれないものであり、政府としては容認できるものではありません。以上の考えの下、政府としては、本談話をもってこの判決の問題点についての立場を明らかにした上で、上告は行わないこととし、84人の原告の皆さまに被爆者健康手帳を速やかに発行することといたします。(以下略)
この首相談話を見る限り、日本政府においても、原子爆弾の線量推計と、被害実態が大きく合わない事を認めていると考える事ができます。
視点を変えると、科学的には原子爆弾の被害とは認められないものの、投下された爆弾は、原子爆弾として扱う、と明記されていると言えます。また、長崎において、戦後に放射性物質を撒いたというパルマー氏の推測が正しいとすると、
・戦後においても、統治機構により、原子爆弾というプロパガンダのために、内部被曝という形で殺人が行われていた。・日本側の協力無くして、放射性物質を撒く事ができたのか?という、より悪質な問題が浮上してきます。
筆者は、長崎においては、概ね、パルマー氏の主張に分があると感じていますが、東京大空襲と同様に研究や資料そのものが少ないという印象を持っています。これは、広島の影に隠れて関心が薄いためなのか、より大きな問題が隠れているのか、現段階では判断ができていません。
今後、新しい資料が出てくる可能性があるので、引き続き検証を続けていきたいと考えています。
=まとめ=
以上、パルマー氏の主張を中心に広島・長崎の爆弾が原子爆弾ではないという直接的な証拠になり得る調査結果を見てきました。
広島に関しては、複数の日本側の研究者の言説も読む事ができるため、不自然に原爆由来の放射性降下物が検出できない事が確認できました。関心がある方は、厚生労働省のサイトに掲載されている、広島原爆“黒い雨”にともなう放射性降下物に 関する研究の現状 も参考にして頂ければと思います。
長崎に関しては、パルマー氏の主張は理解できるものの、研究そのものが少ないという事から、より多くの研究結果を検証する必要性を感じています。
次稿では、熱傷、網膜の損傷、奇形児が生まれてくる割合など、広島・長崎に投下された爆弾は原子爆弾であるという公式見解と矛盾する研究内容について書いてみたいと思います。
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