『人間性の否定と虚構の世界ー10』/1985年の日航ジャンボ機墜落に関する疑惑⑤
* 本連載の目的 *
本連載は、一次資料をもとに自分自身の頭で考えるというテーマで書いた『「お金・相場」に関する幸福否定の研究』の続編として位置づけています。
心理療法家の笠原敏雄先生が提唱した、「反応を追いかける」という方法論を使って明らかになった事や、経緯を書いていますが、主張内容は筆者個人のものです。
また、権力者や専門家を批判する内容もありますが、一般大衆の態度や要求も問題にしており、特定の層を糾弾する意図はありません。集団における異常行動の原因となる、幸福否定理論で説明できる心理的抵抗の検証を目的としています。
*大まかな流れ*
『「お金・相場」に関する幸福否定の研究』において、「お金とは何か?」という事に対して、多くの人において抵抗が強い事がわかりました。
その後、「核兵器・原子力」の分野と、「土壌」という分野においても、集団での抵抗がある事がわかっています。
本稿は、「核兵器・原子力」の集団抵抗と、その背景にある社会システムの分析過程という位置づけになります。
* 用語説明 *
幸福否定理論:心理療法家の笠原敏雄先生が提唱。心因性症状は、自らの幸福や進歩を否定するためにつくられるという説。娯楽は難なくできるのに、自らの成長を伴う勉強や創造活動に取り組もうとすると、眠気、他の事をやりたくなる、だるさ、その他心因性症状が出現して進歩を妨げる。このような仕組みが特定の人ではなく人類にあまねく存在するという。
抵抗:幸福否定理論で使う”抵抗”は通常の嫌な事に対する”抵抗”ではなく、許容範囲を超える幸福、自らの成長・進歩に対する抵抗という意味で使われている。
反応:抵抗に直面した時に出現する一過性の症状。例えば勉強しようとすると眠くなる、頭痛がする、など1985年の日航ジャンボ機墜落の疑惑に関して、国、官庁、専門家、報道関係などのいわゆる「権威」の実態と、大衆の側の問題点という視点で書いてみたいと思います。
”墜落直後、「医療用アイソトープから放射能が漏れている」とか、「パラストに劣化ウランが使われていて危険だ」といった情報が流布していた。朝日新聞もそう報じている。(筆者注:1985年8月13日付、朝日新聞)しかし、危険性はなく、事故当夜、医療機関が即座に「問題ない」とコメントを出しているのだ。さらに機体のパラスト、つまり飛行機の安定性を保つためのおもりとして搭載される劣化ウランについては、これは当時のすべての航空機に積まれているものであり、日航123便以前の墜落事故でこれが問題となったことは一度もなかった。加えて「放射能漏れ」という報道から、放射線測定器を持って現場に入った救援隊がいた。独自に放射線を測定した検死医もいた。しかしこの検死医の報告書を読むと、放射線測定器にはなんの反応もなかったという。つまり「医療用アイソトープ」も「劣化ウラン」もどちらも危険ではなかった。そしてこれもまた、墜落現場に人を近寄らせないようにするための方便だったのだと思われる。逆に考えると、日航123便墜落は、そうした緻密な計画が立てられる立場の人間が起こした事件なのである。”(引用:p79~80)
行方不明のウランは、どこへ消えたか
劣化ウランは事故のときどうなったか。結局、回収されたのは装着されていた劣化ウラン重り20個の内、右水平尾翼の4個と左水平尾翼の1個だけで、あとの15個は、いまだに行方不明となっている。科学技術庁では、その行方について次のように言っている。
「回収されていない劣化ウランのうち垂直尾翼の部分に装着されていた12個、約123キログラム については、事故調査委員会の経過報告によると、垂直尾翼の一部は相模湾あたりに落下した可能性があるとされているので、劣化ウランも(これと一緒に)相模湾に墜落していると推定している。また、左水平尾翼部分に装着されていた3個、約45キログラムは、墜落現場付近の密集した山林中に墜落しているのではないかと推定している」そして、尾翼が最初に接触した地点から尾翼の破片が発見された扇状の地域や胴体部分の落下した区域を捜索したという。しかし、「放射線レベルが非常に低い」からこれ以上範囲を広げないとの答だった。
確かに、かれらも答弁しながら首をかしげるように、水平尾翼の不明劣化ウラン重りは、おかしな無くなり方をしてる。水平尾翼は、ほぼ原形をとどめた姿で事故現場で発見されており、尾翼本体からはなれて発見された外側昇降舵も含め、飛散した部品は9割以上回収されている。したがって、劣化ウラン重りだけが行方不明となっている。事故よりちょうど60日後の10月11日、大掛かりな探査と汚染状況調査が行われたが劣化ウ ラン重りは、ついに発見されなかった。燃えていれば救助などで現場へ行った人々への放射能汚染や化学毒性による被毒の可能性が無いとは言いきれない。
(引用:工房”もちゃむら”・1985年のジャンボ機事故と放射性物質)
(前略)なお通常、試運転(筆者注:青山氏は護衛船まつゆきの試運転中に発射されたミサイルの誤射により、123便の垂直尾翼が損壊との説を主張している)のには開発担当の日系企業の技術者も当然同席するとミサイル開発担当の企業から聞いたが、その旨はホームページにも掲載されている。それらの企業は事故後、急浮上した東京電力の群馬県上野村にある神流川発電所の設計に深くかかわっているのは本当に偶然なのだろうか。さらにこれらの日系企業は原発建設に特に深く関わっており、その後に国に救済を求めても事実上倒産した企業も含まれている。なお、この神流川発電所を見学した際、年に数回位しか稼働していない旨を説明された。東日本大震災のことや原発の運転再開を思えば、御巣鷹の尾根直下に穴を掘って莫大なお金で作ったこの発電所の存在は、一体何なのだろうか。(中略)このダム建設と合せて、御巣鷹の墜落現場付近の山々は数年閉鎖されて慰霊登山ができなかった時もあるが、このダムのために上野村は固定資産税で潤い、御巣鷹の尾根への道路は立派に整備されて、最短距離で行けるように長いトンネルがいくつもできた。(p22~24)
例1:
核燃料物質等の輸送および貯蔵中の事故
(前略)
(4) 1984年8月25日
ベルギーのオステンデ沖で、六フッ化ウラン(UF6、濃縮度最高0.9%)を充填した輸送容器48Y型シリンダー( 図1 参照)30基と濃縮ウランを引き取って持って帰るための空容器30B型シリンダー( 図2 参照)22基を積んだ貨物混載船モンルイ号がフランスからソ連へ向けて航行中、後方右舷に西独のカーフェリーが激しく衝突した。モンルイ号は約15mの海底に沈没したが、船倉前方部の積み荷の48Y型シリンダーなどに直接の損傷はなかった。 回収作業で29番目のシリンダ容器を引き揚げる際、損傷したバルブからごく僅か(数立方センチ)の非放射性ガス(フッ化水素)が漏えいした。
(以下略)(引用:原子力百科事典 ATOMICA)
・沈没したモンルイ号に放射性物質が積まれていた事を、フランス政府が隠蔽をしたが、環境保護団体グリーンピースの追跡により明らかになった。
・モンルイ号の沈没により、1980年代の東西冷戦中に、西側諸国(少なくともヨーロッパの9か国とアメリカ)とソ連が核兵器開発に繋がる物質の取引をしていた事が明らかになった。
・日本の晴新丸がフランスに輸送したプルトニウムがソ連に運ばれていた。
・当時は、核燃料物質の輸送はウィーンにある国際原子力機関(IAEA)に報告義務があったが、核兵器保有国とされている国は報告義務が無く、どのように取引されていたのかは把握されていなかった。
・船舶では、放射性物質を公にならないように輸送する事が難しいため、航空機による輸送を開発していた。
・日本政府が秘密裏に核武装計画を進めていた疑いがある事
・中心人物の一人が中曽根首相だった疑惑がある事
・原子力発電所、日本航空、宇宙ロケットから核武装に必要な技術を転用できるように準備を進めていた
「各国の潜在核戦力の運搬手段を考える上で、案外見逃されているのは民間航空機、特に大型ジェット輸送機のもつ能力である。諸外国では当然の事ながら、民間航空機の高性能のものは、平時から緊急時に際して戦時編成への転用を建前としている。(中略)やはり日本航空が七〇年から運行を始める通称ジャンボ・ジェット、つまりボーイング七四七型機では、最高100トン積載が可能で、それを45トン減らせば五、〇〇〇カイリの航続力がある」(『わが国の核兵器生産潜在能力 1968年版 安全保障調査会編』/資料として『藤田祐幸が検証する原発と原爆の間』収録。引用 p151~p153)
日本は米ソにとって敵国か?
加藤青延
初めはアメリカとソビエト、ソビエトとヨーロッパが核燃料の経済取り引きをしているということが大きな衝撃だったんですけども、それが当たり前だと言われた時に、何故だろうと考えた。アメリカやソビエトにとってみれば、本当に核燃料を盗まれるのが怖いのは、核爆弾を持っている国じゃなくて、核爆弾を作ろうと思ってる国だ。むしろもたない国だ。そういうところが怖い。自分たちは沢山持っていますから、少しぐらいウランがどっちに流れようが、それが今の米ソ間の核戦略の中で大きなウエイトを占めない。むしろ、第三世界の国、あるいは日本のように核を持っていない国で高度な技術を持っている国が、そういうものを軍事利用することが一番怖い。そうなってくると、こと核燃料の輸送に関しては、ぼくたちの考えている東西ではなくて、核保有国と非核保有国というもう一つの対立があるんじゃないかというのを感じたんですね。
秦正純
アメリカはこっち側、ソビエトはあっち側という方式が核燃料輸送に関してはまったく正反対だった。日本にとっては、よく考えてみると米ソがあっち側であり、日本が反対側だったというわけ。
(引用:p185)
転換期にさしかかった核燃料輸送
林良久
(前略)今回取材した晴新丸でもあれだけシチめんどうくさい、ものすごい費用でやらなきゃいけない。だけど、あれだけ安全性を当事者は気をつけていたつもりでもモンルイ号の事故がある。それでいてモンルイ号事故については、嘘をつく。ああいう嘘をつかれると、それまでにも事故があったんじゃないかと当然思う。
加藤青延
今度の晴新丸の話だって、軍事衛星まで使って、軍艦までフランスとアメリカのを動員して運んでいる。いくらかかったか分からない。それはどう考えても天文学的な数字ですよ。こんなことがこれから行なわれるというのは信じられない。
河合央夫
あれだけの費用と期間をかけたことを考えると、輸送は何が一番いいかというと、航空輸送が一番いいだろうという感覚を日本の専門家は持ってる。しかし、航空機で輸送した場合に、安全性はどうなのかとか、あるいは日本の空港についた時に法律的な安全性がクリアになっているかという問題がある。しかし、航空機そのものが適してるという感じは確かにあって、カミュ(筆者注:NHK取材班が取材をしていた、プルトニウム輸送計画のプロジェクトチームの暗号名)のスタッフの一部の人が現在は航空機輸送の担当みたいになっている。逆に船から航空機輸送のスタッフに移って研究している。(p192~193)
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