「お金・相場」に関する幸福否定 5:“反応”を指標にした研究とは

* 用語説明 *

幸福否定理論:心理療法家の笠原敏雄先生が提唱。心因性症状は、自らの幸福や進歩を否定するためにつくられるという説。娯楽は難なくできるのに、自らの成長を伴う勉強や創造活動に取り組もうとすると、眠気、他の事をやりたくなる、だるさ、その他心因性症状が出現して進歩を妨げる。このような仕組みが特定の人ではなく人類にあまねく存在するという。

抵抗:幸福否定理論で使う”抵抗”は通常の嫌な事に対する”抵抗”ではなく、許容範囲を超える幸福、自らの成長・進歩に対する抵抗という意味で使われている。

反応:抵抗に直面した時に出現する一過性の症状。例えば勉強しようとすると眠くなる、頭痛がする、など。

前回まで、”多くの人が、お金に対する基本的な知識がないのは、教育の問題ではなく、幸福否定理論で言う抵抗(つまり心因性の症状)ではないか?”
という仮説を、通貨発行の仕組み(信用創造)と複利を例にとって書きました。

今回は、”相場”で見られる反応について書く予定でしたが、数人の友人とクライアントに本連載を読んでもらったところ、前提となる幸福否定理論と抵抗、反応についての説明の必要性を感じました。

そのため、予定を変更して、1970年代の小坂医師による反応の発見から、心理療法家の笠原先生による研究の発展、そして、現在、私が取り組んでいる芸術や金融の研究に至るまでの流れを簡単に説明したいと思います。

■ 小坂英世医師の発見~反応とは何か

1970年代に精神科医の小坂英世医師が


・精神分裂病患者(筆者注)の症状発症の直前の出来事の記憶が消えている事
・原因となる出来事を指摘すると、症状が消失、軽減する事
・原因を指摘する際に、反応が出る事

筆者注:現在、精神分裂病は統合失調症と名称が変更されていますが、診断基準が大幅に変更になっています。(参照:日本精神神経学会「はじめに: 呼称変更の経緯」)
精神分裂病の名称が使われていた時代は、重症患者のみ、予後不良であったのに対し、統合失調症では軽症患者が多く含まれるようになり、過半数が回復となっています。そのため、治療対象が精神分裂病であった事を明確にするために、意図的に以前に使われていた名称を使います。

を発見しました。

小坂医師は、反応について

1)的中しておれば、患者に反応が生ずる。それは軽い場合にはハッとした表情、姿勢の変化であり、極端な場合には驚愕反応である。一般に、再三再四の再発の場合よりは、それよりは初発、さらにそれよりは幼少期の場合のほうが反応は大きいものである。また、単に事件についてのみ指摘した場合は反応が小さく、もちあじ(筆者注:小坂医師が挙げていた精神分裂病患者の特質)の関与もあわせて指摘した場合のほうが反応は大きいものである。
(引用:『精神分裂病読本』 / 小坂英世著 p78,1972)

と書いています。

この「抑圧解除法」と呼ばれる治療手続きを含む、「小坂療法」で精神分裂病の患者の症状が消失、軽減され、中には就労が可能になる患者もいました。

「抑圧解除法」は、現在の軽症者も含む統合失調症の患者の回復とは違い、治らないという前提で精神分裂病という名称が用いられていた時代の重症患者を対象に行われていました。

ところが、一見治ったかに見えた患者が再発し、イヤラシイ再発という状態に陥ってしまう事が起こってくるようになりました。

イヤラシイ再発について、小坂医師は次のように書いています。

“これは、抑圧を解除していくなかで自分の病気の本態について理解してきた患者が、最後に独立した場合、あるいは家族が自己変革をとげてもはや有害な刺激を出さなくなった場合、そこで自らの責任でつぶれてしまう状態をいう。そのとき抑圧はもはや起きず、もちあじ、共生関係と″疾病への逃避″傾向のみが表面に出てくる。(『(引用:『精神分裂病読本』/小坂英世著 p60-61,1972)”

文字数の関係で、少々乱暴なまとめ方になってしまいますが、筆者は自身の追試経験も踏まえ、”症状は軽減したが、人格的な異常性が表面に出てきた状態”と言えるのではないかと考えています。

この時点で”症状の消失・軽減”という意味で成功していた「抑圧解除法」では対応できなくなり、また患者数の減少も重なり、小坂医師は漢方医に転身してしまいます。

しかし、

・精神分裂病が(脳の異常ではなく)心因性の疾患であることを証明している
・治癒・根本改善という目的においては、少なくとも一部は成功していたこと

という意味では、パラダイムシフトを起こす非常に重要な発見なのではないか?と私自身は考えています。

また、神経症・ヒステリーの患者の記憶が消えている事はフロイトによって指摘されていました。しかし、フロイトの問題点は、

・いつの記憶が消えているか?という基準が明確ではなかったため、重要度が低いために忘れてしまっている記憶と、潜在意識が意図を持って消している記憶の区別がなされていない

・催眠療法を使って患者に思い出させていたため、思い出したとされる記憶の真偽が十分に検証されていない

という問題点がありました。

このような意味においても、

・精神分裂病患者(筆者注)の症状発症の直前の出来事の記憶が消えている

という小坂医師の発見は、追試可能であるという科学の条件を満たす基準を明確にしたという意味でも革命的であったと考えています。

特に、潜在意識の力で、患者が精神分裂病の症状を出現させたり消失させたりすることができるというのは、非常に高度な事を行っている事になるため、”脳の異常”では説明できず、更に”潜在意識の能力の高さ”を裏付ける結果になりました。

その後、超心理学者・心理療法家の笠原敏雄先生が、反応という指標を用いて、精神分裂病のみならず、様々な心因性疾患の患者と面接し、

・どの心因性症状においても症状発症の直前の出来事の記憶が消えている
・記憶の消えている直前の出来事は、ストレスではなく、幸福感に関係している

という結論を導き出しています。

“幸福感”が心因性症状の原因となる、と言われても首を捻る読者の方も多いのではないかと思いますが、笠原先生は、ご自身のWEBサイトで、

“私は、幸福の内容自体を限定したことはありません。幸福感は自らの進歩につながる感情であることを、ベルクソンの指摘に従って述べていることに加えて、各人が否定している内容が、少なくともその時点で本人の幸福感を呼びさますはずのものだと言っているだけです。ですから、幸福の内容には多少なりとも個人差がありますし、同じ人でも、進歩するに従ってもその内容も大なり小なり変わってきます。さらには、文化圏や時代背景によっても社会的な階層によっても相当に違ってくるでしょう。”(引用:笠原敏雄:心の研究室 レビューの検討 3 『幸せを拒む病』,2020年6月)

と述べています。

これも、少々乱暴なまとめ方になってしまいますが、

・例えば、遥にストレスが強かった第二次世界大戦時と、現代の先進国を比べても、圧倒的に現代の先進国のほうが心因性疾患が増えている

・ストレスがかかる状況下であっても、受け入れている時は、心因性症状は発症しない。(例、貧困、いじめ、男女格差など)

・ストレスそのものではなく、それを乗り越えようとする時に抵抗に直面し、心因性症状が発症する。例えば、生活に追われ、自分らしく生きたい、好きな事を仕事にしたいなどを考える余地がない状態では心因性症状は減少する。

などの観察結果と、

・筆者自身が心理療法を追試し、症状の発症の直前の記憶が消えている出来事は、ストレスではなく、幸福感(自らの進歩)に関する出来事であった。

という追試結果から、私自身は肯定する結論を得ています。

臨床でよくある例を挙げてみたいと思います。

例1:仕事のストレスでうつ病になった。仕事を辞めてからも、うつ病は続いており、復職できていない。

この場合、現在の精神医学では、仕事におけるストレスがうつ病の原因であると判断します。しかし、原因を判断する前に、患者の訴えが正常なものかを判断しなければなりません。筆者が心理療法において調べた限りでは、仕事に関係して、うつ病が長引く場合には、

・患者が成熟しておらず、仕事への不満が不当なケース。(いわゆる、自立、大人になる事ができていない)

・患者が、自分の本心(やりたい事、良心に従った仕事がしたいなど)を優先する事を考えている例

がほとんどでした。どちらも、自分自身を成長させないと乗り越えられないため、仕事を退職しても症状は続きます。

逆に、嫌な仕事でも”お金を稼がなければいけないから仕方がない”と、受け入れてしまっている場合は、心因性症状は発症しません。

例2:長年の介護の末、親が亡くなった。その後、神経症を発症。

このような例も、珍しい症状の出方ではなく、何例も経験しています。但し、筆者の経験では、このケースの患者さんは、心理療法を勧めても続く事はほとんどなく、1~2回で終わってしまいます。(心理療法が続かない原因は、私なりにはっきりしており、癌を発症しやすい、自分より他人を優先するタイプの方は、心理療法を嫌う傾向があります。)

現在の精神医学では”長年の介護の疲れ”や”介護のストレス”が原因とされることでしょう。しかし、実際は、改善例がないので推測になりますが

・自分自身を大切にできない
・自分のやりたい事に取り組む事ができない

という原因のほうが可能性が高いのではないか?と考えています。長年介護をするタイプの人は、”人の為”に力を発揮する事はできても、”自分自身のため”という事になると、途端に不安定になってしまう事があります。

“十分な睡眠時間が取れないような介護を長期間やっている間は、症状がないのに、なぜ、自由になってから症状が出るのか?介護が原因ではなく、自由時間が原因でないか?”と指摘しても、感情的に納得する事はないようです。

以上の例で、一見”ストレス”に見える症例も、よく検証してみるとおかしな点があるという事は、ご理解頂けるのではないかと思います。

このような検証を、心理療法の追試で10年余り続けた結果、私は現代の精神医学における”心因性症状の原因はストレスやトラウマという説(注1)は間違っており、笠原先生の幸福否定理論が妥当であると考えています。

新たな発見として付け加えるならば、

・がんに関しては性格的傾向が非常にはっきりしており、心因性の原因が存在する事が推測されるが、発症時に自覚がないため、検証ができない

という点があります。この点については、笠原先生も既に気が付いており、私が確認した内容という事になります。
■ 幸福否定理論における心の構造

笠原先生は、心の構造として、

意識
ーーーーーーーーー
↓無意識
内心
(幸福を否定する意志を持つ層)
本心
(素直な感情ばかりではなく、全知全能といも言うべき能力や崇高とも言える人格が潜んでいる層)
というモデルを提唱しています。(参考:『本心と抵抗』/笠原敏雄著 すぴか書房,2010)

小坂医師が症状の原因を探る際に使っていた反応という指標を、抵抗(内心の働き)に当たった結果として出る症状と考え、患者を、感情の演技という積極的に抵抗に直面させる方法により、精神分裂病の完治例を含む、数々の心因性症状を根本解決させる事に成功しました。(注2)

そして、心因性疾患の治療として臨床を重ねる一方で、

・自分が本当にしたいことを
・時間の余裕が十分あるうちから
・(外部の要請のよってではなく)自発的にすること

という三条件が揃った時に、自分のやりたい事(娯楽ではなく、自分自身の成長を伴う事、喜びとなる事)に取り組む事が非常に難しいという現象に着目し、心因性疾患の患者だけではなく、例外なく人間に見られる心の仕組みとして、『幸福否定理論』を提唱しています。

そして、反応の例として、小坂医師が挙げていた症状に加え、

・対象に向き合おうとすると他の事をしたくなる
・向き合えたとしても集中できない
・あくび、眠気、その他多くの身体症状(アレルギー症状、だるさ、頭痛など)

などを報告しています。

以上、約50年に渡って検証が重ねられた反応に関する研究の流れを、簡単に追ってみました。前提となる反応をご理解頂くために、簡略化してまとめた文章なので、研究のより細かい経緯に関心のある方は、笠原先生の『幸福否定の構造』を読んで頂ければと思います。

心の研究室のWEBサイトや、著書を見て頂ければわかると思いますが、笠原先生は、心因性症状の反応や、自分自身の成長や喜びになるやりたい事へ取り組む時の反応に関して、膨大な資料を基に詳細な研究を残しています。

一部を挙げてみると、

・精神分裂病(現在の統合失調症も含む)や自閉症
“ふつう”という事に抵抗がある。
・強迫神経症
時間潰しの目的で症状が出ているので、意味のある事が対象にはならない。時間を有効に使う事に対する抵抗。
・喘息、アトピー
リラックスに抵抗がある患者が多い
・がん
感情を表出させる事、他人に気を遣い自分を優先させる事ができない

などの観察例があります。

また、”生き方”についても、中原中也の”芸術派”、”生活派”という言葉を使いながら、自分自身の成長のために取り組む人(詩人の中原中也や登山家のラインホルト・メスナー)と、他者からの評価のために取り組む人(中原中也との対比で作家の島田 清次郎)との違いについての研究があり、重要な書籍としては『希求の詩人・中原中也』があります。

この本の”はじめに”において、著書自体の目的の一つとして

主観というあいまいなものに基づいて行われてきた文学作品の鑑賞や研究に、ある意味で客観的な指標を導入できるかどうかを、私なりの角度から検討することである。文学のみならず、芸術一般について言えることであろうが、こうした分野では、客観的指標が全くと言ってよいほど存在しないため、作品の鑑賞や評価は、各人の”見る目”に全面的に任されてきた。(中略)本書で試みている客観的指標の導入がわずかにせよ成功したかどうかについては、読者の方々の判断を待つ他ない。”
(引用:『希求の詩人・中原中也著』/笠原敏雄著 ”はじめに,ⅴ”,2004)
とい記述があります。

その一方で、

三〇年以上にわたって心理療法を専門としてきた、およそ文学には縁遠い人間としては、中也の作品そのものについて述べる事はできない。できることがあるとすれば、それは中也の心理的状態や行動および、作品の中で行われている主張に関する検討にほぼ限定される。(引用:笠原,2004,”はじめにⅱ)

としています。

私としては、この部分に関しては、違和感を感じています。

詩というものは、言葉の持つ意味、音、形など本来別の側面であるものを調和させて、はじめて芸術作品としての意味を持ちます。

芸術作品の鑑賞や研究に反応という客観的指標が使えるか?を検証する目的があるのに、自分の検証は専門分野である中也の心理的状態や行動および、作品の中で行われている主張に限り、作品そのものについては手をつけない、という方針が書かれています。

反応という客観的な指標を使って芸術作品を研究する限り、専門家である必要はないはずですが、これでは、芸術作品とは何なのか?という最も重要な部分に迫る事を最初から放棄している事になります。

数年後に、自分自身の抵抗を乗り越えていく過程で、芸術活動と経済活動の本質への関心が高い事が意識化され、この課題に取り組む事になるのですが、笠原先生が芸術作品そのものの検証に立ち入らなかった理由がわかるようになります。

■ 私自身の研究について
東洋医学と心理療法という本業の部分では、笠原先生の「幸福否定理論」と、心理療法の手法を元に臨床を重ねましたが、笠原先生の慧眼と研究の完成度に驚かされるばかりで、私が新たにやる事は細部の補足と、がんの心因研究以外にはないと考えていました。

しかし、幸福否定理論に疑問点がないわけではなく、心の研究室で心理療法を受けるようになった2006年の時点で、”幸福否定には個人的な領域以外に、人類、国家など集団的に変化をする領域があると思うが、その点についてはどう考えているのか?”という質問をした記憶があります。

その時は、”確かに、集団の変化というのはあると思うが、集団の反応を確かめる事はできない。まずは個人の幸福否定を反応という指標を使って追試をしないと、何をやっているのかわからなくなってしまう。”との返答があり、納得した記憶があります。

その後、患者さんに心理療法を施す事と並行して、自分自身のやりたい事を探るという事に反応という指標が使えるか?を被験者的に確かめるため、笠原先生の心理療法を2006年から2019年まで、13年間に渡って受けましたが、関心の対象が数年ごとに移り変わり困難を極める事になります。

大きく時期で区切ると

2006年~2009年
主に笠原先生の研究分野である超心理学への関心が高まる。前世、臨死体験などの勉強。また統計学への関心も強くなる。(結果的には、統計のサンプル抽出には、恣意的な部分が入り込むという問題がある事がわかる)

2009年~2011年
アダム・スミスの『国富論』で非常に強い反応が出る。アダム・スミスの他の著書(『道徳感情論』、『芸術論』)の他、経済学、哲学の本を読む。同時に、生物学にも関心が高まり、今西錦司先生の著作とダーウィンの『種の起源』を読み、比較をする。

2011~2016年
主に芸術に関する関心が高くなる。パリ(ルーブル美術館、その他)や、サンクトペテルブルク(エルミタージュ美術館)、京都、奈良などを訪ね、芸術鑑賞を重ねる。同時に、学生時代にやめていた音楽も再開し、バンド活動やクラシック、ジャズの理論を個人レッスンで習う。ピアノを始める。

2017年~
主に、相場の抵抗について研究。

となっています。

抵抗が弱くなっていくにつれ、反応が出る対象が、芸術活動と経済活動に集中し、自分自身の関心が強い事がはっきりしてきました。

笠原先生からは、自分のやりたい事がはっきりするまで(要は取り組むまで)に10年程度かかり、更にそこから10年単位で取り組む必要があると言われていたため、心の研究室の他のクライアントも、同様に長期に渡って、複数のテーマを行ったり来たりする時期があるのではないかと思います。

今となっては、全て繋がっており、芸術活動や相場における抵抗も、創造活動とは何か?という事がテーマになっているのがわかってきましたが、当時は反応の対象が数年で変化してしまうので、正直に言えば、心理療法で求められていた、反応を指標としてパイオニアワークを成し遂げるのは非常に難しいと感じていました。

笠原先生からは、精神分裂病を含む、心因性症状の根本改善や治癒例は何例も聞いていました。しかし、創造活動については、クライアントが具体的に何かのパイオニアワークを成し遂げたという例は著書の症例にも載っておらず、私がクライアントとして受けていた心理療法の範囲内では、具体例は聞いた事がありません。

但し、”抵抗に直面する”という事を通じて、日常生活では様々な面が改善されてきたので、特に不満なくクライアントとしての心理療法を続けていました。

また、私のクライアントにおいても、心因性症状については、途中でやめなければ、個人差はありますが、ほぼ根本改善という目的を達成する事ができています。

さらに、音楽活動や美術館に行くなど、趣味の範囲で自分のやりたい事に取り組む事に関しては、達成者も多いのですが、”創造的な活動”となると、達成者が1人もいないというのが現状です。

また、心因性症状については、

・症状発症の原因となる、直前の出来事の記憶が消えている

という、はっきりとした基準があります。

しかし、芸術作品については、

・作品鑑賞の着眼点が人によって違う
・作品鑑賞の条件により、反応が出たり出なかったりする
・自分自身の抵抗が弱くなるにつれて、反応の出方も変わってくる

という難点があります。つまり、作品鑑賞の基準を定める事ができないため、追試を正確に行う事ができないという事になります。

そのため、

・選び出す作品が検証者によって違う
(私と笠原先生でも、共通する部分と違う部分があります)

・どのような視点で、どこを中心に見れば反応が出やすいのか?がわからない
・全体的な見方をする時には、個々の能力差の問題が解決できない

・どこまでを作品の範囲とするのか?(庭と建物、建物の中の彫刻など)がわからない

・作品のみで反応が出るのか、作品の創られた背景まで関係してくるのか?がわからない
などの問題が出てきてしまいます。

この件に関しては、笠原先生から、”この作品には多くの人が抵抗がある、という事まではわかるが、その先が難しい”という内容の結論を聞いています。

笠原先生が、心の研究室に来ているクライアントに様々な芸術作品を見せて、反応が出る作品のデータを取っていた事は知っていたのですが、『希求の詩人・中原中也』の”はじめに”において、”作品そのものについては述べない”とした経緯についても、自分なりに理解する事ができました。

要は、芸術作品そのものを検証する場合には、どのような視点で対象を見ているか?という基準を固定する必要があります。そのためには、創作する側が理解していなければいけない、最低限の専門知識が必要となり、他作品との比較検証を行わなければなりません。

当然の事ながら、私自身も、笠原先生と同じ方法では、同様の課題に直面して打開する事は不可能という事になります。難題ばかりで、当初の見通しが甘く、研究も行き詰ったのではないか?と考えたのですが、J・S・バッハの『平均律クラーヴィア曲集1巻』と『フーガの技法』という曲の比較分析において、一つの仮説を提唱する事ができました。

詳細は割愛しますが(関心がある方は「芸術と潜在意識」で、紆余曲折を扱っていますのでご覧ください。)『平均律クラーヴィア曲集1巻』という西洋音楽の旧約聖書と言われている重要な曲集のフーガと、反応が出やすい『フーガの技法』という曲集のフーガにおいて、比較可能な基準がみつかった事が大きな要因となりました。

この二つの曲集のフーガは、

・強弱、リズムがなく、音の高さと長さのみで構成されているという点で、比較する基準が確定している

・音楽の場合、他の芸術にはない譜面という完全な設計図が公表されている

という点で、主観が入る余地がない比較を行う事ができました。

もちろん、これだけで芸術作品全体と反応との関係を説明する事はできませんが、基準がはっきりした比較可能な対象で検証した

・具体性
・客観性

という要素が非常に重要だという事がわかりました。

バッハのフーガという一例において”比較の基準の明確化”をしたのが、2019年の9月頃になりますが、芸術や当時既に取り組んでいた相場の研究について、笠原先生との心理療法内で自分の経過を説明したところ、笠原先生に反応が出るようになったために、心理療法が成り立たなくなってしまいました。

また、笠原先生だけではなく、私の心理療法のクライアントや、身体の施術の患者さん、友人などに関しても、簡単に話をしただけで、強い反応が出るようになってしまいました。

その後、笠原先生との心理療法は2019年の4月まで半年ほど続けましたが、やはり芸術、相場に関する具体的な内容になると、笠原先生のほうが抵抗が強い事がはっきりしたため、以後の研究は笠原先生の指導を受けずに、独力で進める事になりました。(注4)

■ 全体像から離れ、基準がはっきりした一例の比較検証へ

上記のJ・S・バッハの『平均律クラーヴィア曲集』のフーガと『フーガの技法』のフーガの比較がきっかけとなり、芸術作品については、全体像を追うより、反応が出る作品の、どの部分が原因なのか?を比較検証により、はっきりさせるが重要であるという認識に至りました。

少し話が逸れますが、数学や物理に関しても、ピタゴラスの定理から始まり、微分積分、相対性理論、量子力学など、100年程前までの新発見は実生活を大きく変えるものでした。しかし、それ以後の数学者や理論物理学者は、実生活には役に立たない、純粋数学と呼ばれる分野や、検証不可能な超弦理論と呼ばれる理論と対峙しなければなりません。

一つの証明に何十年もかけ、それが合っているのかどうかの検証に、多くの数学者が何年もかけ、証明されたからと言って、実生活の役には立たないという、いわば、数学者、物理学者にとっては辛い時代と言えるかもしれません。

しかし、これらの数学者や物理学者は、数学の世界や、宇宙の全体像の解明であり、人類の内面的な進歩に貢献していると言えると思います。

芸術作品そのものの研究も、同様の性質を持つものであると感じていますが、生活という側面から見れば、それがわかって何になるのか?という意見を持つ人も多いと感じています。

現代における創造性と実生活における実用性は、解離を続けるものと感じていましたが、2016年に日本がマイナス金利に突入した事をきっかけに、相場のチャートを何年振りかに見た時、他の創造活動と同様、非常に強い反応が出る事に気が付きました。

恐らく、ただ漠然とチャートを見ただけでは反応は出なかったでのはないかと思います。事実、2005年頃に著名な相場師の故林輝太郎先生の影響で、手書きでチャートを書いていましたが(注6)、作業的に”写している”という感覚が強く、精査するという発想がなかったため、反応は全く出ませんでした。芸術作品の研究を通じて、どのような基準で見るか?という視点を固定する癖がついていた事と、記号や抽象的な対象を精査する事に慣れていた事が発見に繋がっていると感じています。

■ 相場の反応の追い方について

相場チャートで非常に強い反応が出るという事は、自分自身が取り組むべき対象であり、尚且つ、実生活にも直結する問題です。

私の場合は、通貨不安から始まっているので、チャートのロウソク足の分析、USD(米ドル)/JPY(円)の周期の分析など、反応が出る対象はいくつもありましたが、もっとも反応が強かったのは、XAU(金)/USD(米ドル)のチャートでした。そのため、XAU/USDが内包する意味について、徹底的に分析を行いました。研究の過程については、別稿で詳しく書く予定ですが、関心がある方は、既に心理療法のサイトに掲載しているので、具体例を参照してください。

また、自分自身で一通り調べた後に、簡単に知人に話をしてみたところ、第2回でも触れたように、XAU/USDの内包する意味に関しては、抵抗が強い人が多いのではないかと考えざるを得ない経験をしました。

恐らく、相場の研究においては、着眼点が無数にあるので、終わりがないものと考えています。

しかし、反応を指標をした方法論を使う場合、


・反応を指標に、自分自身の抵抗が最も強い所を追いかける
(最も抵抗が強い対象において基準が定まる可能性が高い。比較的弱い反応を追いかけると、具体性のある検証ができなくなってしまう。)

・条件を同じにできる対象を探し、比較を重ねる

という方法を崩さずに研究を進めていけば、全く関係ないように見えた複数の対象が、後から繋がってくる事があるので、原則を崩さない事が大切だと考えています。
■反応を指標とする際の注意点

相場チャートやデータを検証する際に出る反応については、無数に種類があるので、当然、それぞれの反応に強弱があります。しかし、資格試験の勉強のような、一般的な勉強に比べると、相対的に強い反応が出る傾向があるので、私自身は、創造活動に関係する反応が含まれていると推測しています。

相場に限った事ではないのですが、反応を自分のやりたい事を探るための手段として使う場合の、注意点を私なりに書いておきたいと思います。この点は、笠原先生は著書に書いている事ではないので、13年間に渡って、笠原先生の心理療法を経験した上での私見になります。

*抵抗に直面するために、強い反応が出る項目を探す事と、抵抗が取れてわかった事を形にする事は、別にして考えなければならない。

抵抗を弱める事も重要だが、わかった事を形にする事も重要である。また、自分ではわかっているつもりでも、文章にする、発表するという事になると、別の抵抗を乗り越えなければいけない事が多い。

*反応は目的に向かって一直線に進むようには出ないので、しばらくはテーマが変わってしまう。

笠原先生の著書に、反応を使って進路を決めたりする例が出てくるが、個人的にはそのような方法はとっていない。なぜなら、進路に関しては抵抗が強すぎるところを選ぶと、うまくいかないという事になる。学校、仕事、結婚相手などは、現実的には抵抗に直面するという作業を続けながら、自然に形になってくる道を選ばざるを得ない。

長年、抵抗を弱める作業をやっていると、自分自身の関心が続く分野、向いている分野(他の人は抵抗が強いのに、なぜか自分は抵抗が弱い分野)が見つかるようになる。

*テーマが大きすぎる場合は、自分が何をやっているのかがわからなくなってしまう事がある。

例えば、芸術であれば、”自分が作品をつくりたい”のか、”芸術作品とな何なのか?”を比較研究したいのか、それを通じて”生き方”の問題に取り組みたいのか様々なやり方がある。

同様に、相場においても、”資産を増やす”という目的で始めても、”世の中の仕組みを知る”、”誰も見つけていない関連性を発見する”など、意識をしていなくても、必然的に創造的な活動に入り込んでしまう事がある。

一般的には”陰謀論”と言われる対象に対しても、相場チャートを見ていると事実である可能性のほうが高いと感じる事も出てくる。しかし、報道や書籍では、ある線を超えると(特に軍産複合体に関しては)、全く情報がなくなってしまう。

そのため、相場チャートの一次情報から、事実を集め頭の中で構築するという方法を取っており、それこそが創造的な活動という事になるが、このような問題に関しては、証拠を掴む事はできないので、断片的な資料をもとに、断定的な文章を書く事が非常に難しくなってしまう。

しかし、経験上、全体像の推測を書かなくても、資料の提示さえすれば、飛躍した推測を書くよりも、読者に与える影響は大きいと考える。

また、一見理由がわからない関連性なども、反応が強い事がわかっており、創造活動になり得る。

*笠原先生の能力に対して
一部のクライアントから、抵抗を弱めれば、笠原先生のような能力が得られるのか?という質問があった。結論から言えば、数年間、抵抗に直面したからといって、膨大な作業を驚異的なスピードでこなしてしまう、笠原先生のような能力を発揮するという事はない。

しかし、笠原先生がパイオニアワークを成し遂げているのは、“事実を追及する”という姿勢によるものだと考えているので、比べる必要はない。

■反応と相場の売買について

最後に、反応を直接的に売買の指標に使っているわけではないので、その点を書いておきたいと思います。

*相場において強い”反応”があった場合は、抵抗が取れるまでは売買を控えた方が良い

反応が出るという事は、抵抗が強いという事なので、売買に関してもうまくいかない場合が多い。笠原先生によると、心の研究室で心理療法を受けているクライアントが、金融商品を買った直後に暴落した例が何例かあるという事を聞かされた。一方で、投資で生活しているクライアントもいたが、その人は特にそのような事はなかったという。

私自身の経験でも、マウントゴックス社からの流出事件があった2014年頃からビットコインの勉強をしていたが、反応は全くでなかったのに、その後、暴騰した。

一方で、XAU(金)/USD(米ドル)の反応が最も強かったため、金と米ドルの歴史を勉強したが、一時期、USD(米ドル)/RUB(ロシアンルーブル)で反応が出た時期があった。

ロシアンルーブルが、どう見ても安値にあるように感じ、購入しようか迷ったが、結局購入しなかった。

現在、USD/RUBで反応が出た時期と比べても、RUBは若干下がっている。USD/RUBの今後はわからないが、反応は売買の指標として使えるものではない。

反応は自分が関心を持っている対象において、”原理原則”を探し出す指標となるので、反応が出ていた対象を分析、理論化し、抵抗が弱くなってから売買を始めた方が良い。そのような大前提となる知識の勉強は、反応が出る、出ないに関わらず売買には必要になってくる。

また、証券会社によっては注文の約定やスプレッドに関して、問題がある場合も多いので、現実的な勉強も必要である。

以上、小坂医師から始まった反応の研究の経緯、反応を指標としながら、やりたい事やパイオニアワークを目指す場合の注意点(反応だけではなく、定まった基準による比較検証が必要になる)、反応を指標として相場の売買する時の注意点(原理原則や、対象の関連性の分析には使えるが、値動きの予想としては使えない)を書きました。

次回は、実際に観察される、相場に関する抵抗について書きたいと思います。

注1:PTSD(心的外傷後ストレス障害)という考え方が出てきたのは、ベトナム戦争で、加害者側の米兵に心因性症状が多発した事に起因します。
心因性症状の原因がストレスとトラウマという説は、政治的な側面があり、女性解放運動と共に作り上げられたもので、現実的な観察に基づいたものではありません。
1990年代にアメリカで、催眠療法において、幼少期の性的虐待の記憶を思い出したという件で、数多くの告訴がなされたようですが、事実無根のものがかなりの割合であったようです。この点については、『危ない精神分析』/矢幡洋 著、2003、『加害者と被害者の”トラウマ”』 /笠原敏雄著,2011、などを参考にして頂ければと思います。

注2:精神分裂病を含む難治性の心因性疾患の完治例はありますが、数年~10年単位で時間がかかる、修業的な心理療法を、疾患が完治するまでできる患者も非常に少ないのが現実なので、一般化するのは難しいのではないかと思います。

但し、筆者自身の追試においても、完治する患者は少ないですが、(最低)半年以上続けた患者においては、程度は個人差がありますが、症状の根本改善は達成しています。

注3:鳥のさえずりに音階があったり、動物にも娯楽目的と思われる行為があったり、芸術活動に関係する行為が全くないわけではありません。但し、動物の場合は、発展させるという事がないので、人間の芸術活動とは、根本的な違いがあると考えています。

注4:笠原先生とのセッションはSKYPEを使って行っていました。2018年9月末のセッションから、私が喋っている時に、笠原先生が音声が聞こえないという現象が出始めました。当初は、単純に通信の問題と考えていましたが、私が説明しようとする時のみ、笠原先生が音声が聞こえないという現象が続きました。

また、芸術と金融以外のテーマを扱った回、私の身内が私のパソコンを使って笠原先生のセッションを受けた回は音声の問題はなかったので、笠原先生の側の抵抗であると判断し、2019年の4月に直接、五反田まで伺い心理療法を行ったところ、パソコンを介さない条件でも、私が話をしている時に、笠原先生が話を聞き取れないという状態になりました。

笠原先生からも、”独自のものは独力でしかできない。まさに自分のためでもあるので、私から離れて独力で頑張ってください。”という主旨のメールを頂きました。

私自身は、小坂先生、笠原先生共に革命的な発見をしていると思っており、2018年までは、心理療法を通じて笠原先生に質問をしては跳ね返されるという状態が10年以上続いていたので、まさか笠原先生のほうが抵抗が強くなり、心理療法が成り立たなくなるとは思ってもいませんでした。

但し、このような状態になった事も、結局は、長年に渡って笠原先生に客観性・具体性をもった比較検証の重要性を教えて頂いた事が、重要な要素だと感じています。

私と笠原先生では、能力、功績共に比較にならない程の差がありますが、そのような事は関係なく、未知の分野に入ると、心理療法を施す側の抵抗が強くなるという事になります。

また、不思議な現象ですが、2000年に開業してから、20年間、新規患者数が年間40~50人程度で推移していましたが、2018年の後半は、新規患者が3名しかいないという明らかに不自然な現象が起こりました。(前半は20人)2019年に新規患者数は約30名でしたが、これまでになく県外患者が増え、地元の患者さんが減ってしまうという現象も確認できました。

注5:芸術作品の研究に関しては、もともとが抵抗が強い曲を作曲したいというテーマが先に出てきており、そのために芸術作品と反応の関係の研究に入りました。どのような音程の組み合わせ方で反応が出るのか?という例はわかったのですが、作曲となると、楽器、ジャンル、全体的な作曲の勉強など、やらなければならない事が多くあります。

私の場合は、反応の対象として、音楽と金融が交互に来るパターンが続いているので、現在は、「お金・相場に関する抵抗」に集中していますが、いずれ時期が来たら作曲にも取り組みたいと考えています。

注6:2005年~2006年に故・林輝太郎先生の著書で、資金配分や売買技法の勉強をし、林投資研究所に入会し、わからない所は、直接お会いしたり、電話で質問をしていました。



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