『人間性の否定と虚構の世界』ー8/1985年の日航ジャンボ機墜落に関する疑惑③

* 本連載の目的 *

本連載は、一次資料をもとに自分自身の頭で考えるというテーマで書いた『「お金・相場」に関する幸福否定の研究』の続編として位置づけています。

心理療法家の笠原敏雄先生が提唱した、「反応を追いかける」という方法論を使って明らかになった事や、経緯を書いていますが、主張内容は筆者個人のものです。

また、権力者や専門家を批判する内容もありますが、一般大衆の態度や要求も問題にしており、特定の層を糾弾する意図はありません。集団における異常行動の原因となる、幸福否定理論で説明できる心理的抵抗の検証を目的としています。


*大まかな流れ*

『「お金・相場」に関する幸福否定の研究』において、「お金とは何か?」という事に対して、多くの人において抵抗が強い事がわかりました。
その後、「核兵器・原子力」の分野と、「土壌」という分野においても、集団での抵抗がある事がわかっています。
本稿は、「核兵器・原子力」の集団抵抗と、その背景にある社会システムの分析過程という位置づけになります。


* 用語説明 *

幸福否定理論:心理療法家の笠原敏雄先生が提唱。心因性症状は、自らの幸福や進歩を否定するためにつくられるという説。娯楽は難なくできるのに、自らの成長を伴う勉強や創造活動に取り組もうとすると、眠気、他の事をやりたくなる、だるさ、その他心因性症状が出現して進歩を妨げる。このような仕組みが特定の人ではなく人類にあまねく存在するという。

抵抗:幸福否定理論で使う”抵抗”は通常の嫌な事に対する”抵抗”ではなく、許容範囲を超える幸福、自らの成長・進歩に対する抵抗という意味で使われている。

反応:抵抗に直面した時に出現する一過性の症状。例えば勉強しようとすると眠くなる、頭痛がする、など1985年の日航ジャンボ機墜落の疑惑に関して、国、官庁、専門家、報道関係などのいわゆる「権威」の実態と、大衆の側の問題点という視点で書いてみたいと思います。

前回は、1985年の日航機墜落において、聴聞会における専門家の指摘から、政府の公式発表に情報操作の疑いがあるという事について書きました。

本稿では、

③後に明らかになった、異常発生原因・墜落原因・乗客の死因に対する政府公式発表の不自然な点

④異常発生原因・墜落原因・乗客の死因に対する疑惑の追及(自衛隊の誤射により操縦不能になり、それを隠蔽するために山中で撃墜したという説)

について書いてみたいと思います。

=異常発生・墜落・搭乗者の死因の区別について=

はじめに、異常発生・墜落・搭乗者の死因が区別されていない点について整理をしておきたいと思います。

政府の公式見解では、日航123便は「相模湾上空で圧力隔壁の破損により垂直尾翼が欠損し、操縦不能となり、操縦不能が原因で御巣鷹山に激突し、搭乗者が亡くなった。」という事になっています。

「圧力隔壁の破損」も不自然な点が多く、多くの専門家も受け入れていない説明ですが、これはあくまで異常発生の原因になります。

その後、フライトレコーダーや亡くなった搭乗者のメモをからも機体は安定してコントロールできていた事が推測できるため、墜落には別の原因が必要になります。

さらに、生存者の証言から、機体後部の乗客は墜落直後は多数生きており、声を掛け合っていた事がわかっていますが、翌日の午前中には生存者4名を残し、死亡しています。

また機体前部から中央部にかけての乗客の遺体が、航空機燃料には使われていないガソリンによって、不自然に炭化している事がわかっており、墜落が直接の死因になったかどうかは、墜落とは別の死亡原因も含めて検証し直す必要がある、と言う事ができると思います。

政府の公式見解や、日航機123便の墜落は事件である、という言説を主張する人達においても、異常発生原因・墜落原因・搭乗者の死亡原因をそれぞれ明確に分けて説明しているわけではないので、本稿では、その点を分けて検証したいと思います。

尚、日航機123便は事件である、という主張をしている人物は、1993年に『疑惑』を出版したフリーライターの角田四郎氏、遺族の小田周二氏、ノンフィクション作家の青山透子氏、などが挙げられます。主張の要点は「自衛隊の無人標的機が訓練中に123便の垂直尾翼を誤射。誤射を隠蔽するために、自衛隊のファントム2機が日航123便を撃墜し、事件の目撃者である生存者を火炎放射器で殺害した。」(角田氏は自衛隊の誤射、ミサイル撃墜の可能性までで、墜落現場における殺害には触れていない。)となります。

この主張についても、それなりに筋が通る点と、不自然な点があると考えていますが、青山氏が論拠・証拠を提示して主張しているおり、検証可能な内容となっているので、主に青山氏の主張を取り上げ、それぞれ考察してみたいと思います。

それでは、機体の異常発生の原因から見ていきたいと思います。

政府の「圧力隔壁の破損が事故原因」という公式発表に関しては、専門家や日航内部からも批判がありますが、それ以外の証拠物に対しても不自然な操作がなされています。

=異常発生原因に関する証拠物の操作の疑惑=

*政府公式発表の不自然な点

・ボイスレコーダー記録は3回公表されている。聞き取りが難しい部分の修正なら理解できるが、発言そのものの場所が変わったり、不自然な修正がなされている。

・2000年代にインターネット上にリークされたボイスレコーダーの会話内容に関して、「何が原因で異常が起こったか?」、「どこに着陸しようとしていたか?」の肝心の部分がプライバシーの保護という名目で削除されている。機長の羽田着陸の希望の音声のみが入っているが、実際に飛行記録は、横田基地近辺で高度を下げており、着陸する意思があったように見える。

・高度や飛行経路に関して、ボイスレコーダーとフライトレコーダーの内容が一致していない。ボイスレコーダーの消去された部分が公表されない限り、状況証拠による推測になるが、横田基地への着陸の意思があった事を隠しているように見える印象がある。

・相模湾において事故原因に関係する機体の一部が発見されたが、政府が引き揚げを拒否している。

・事故原因とされる圧力隔壁は、墜落後の日米合同捜査、警察捜査の前に自衛隊が持ち出している。

画像
写真:事故調査報告書より


(前略)重要な証拠物の圧力隔壁が現場でほぼそのままの状態で見つかったにもかかわらず、遺体収容や搬出困難といった理由で、日米合同調査の事故調査委員が来る前日の十五日に自衛隊が大型カッターで五分割にしてしまったのはなぜか。
一九八五年八月十七日付けの読売新聞記事では「この隔壁は、その後の遺体収容作業の折、遺体確認と運びだしの邪魔になるとして切断され、再度調査委員が訪れた時には、亀裂と放射状の骨組みにそって細かく切り刻まれたうえ、積み重ねられていた。」と書かれている。「隔壁の破損が飛行中に起きたのか、墜落時の衝撃で亀裂が入ったのか不明」としている。
また「事故調査委員のメンバーの一人は、墜落直後の十三日に機体後部が見つかった谷底で、おわん状の原形をほぼ完全に残した隔壁を発見。アルミ合金製の隔壁に放射状の亀裂が数ヵ所入っている事を確認した。隔壁はその後捜索活動の中で、エンジンカッターで切断されバラバラになったらしい。この破片は救出現場で機体の他の部分と一緒に山積みにされており(略)」と大原則である現場保存がないがしろにされていたことが明確になった。事故調査報告書が主張する圧力隔壁破壊説は、こうやって墜落後に切り刻んだ断面をレプリカで再生して調査したにすぎない。日本航空の安全啓発センターに置いてあるものは意図的に切断されてバラバラになったものを繋ぎ合わせたものなのである。(『日航123便 墜落の新事実』p10~11/ 青山透子著)

上記に挙げた点を考慮しても、政府の公式発表は機体における異常発生原因の説明になっておらず、また意図的な証拠の隠蔽の可能性があると判断できると思います。

=異常発生原因に対する青山氏の主張=

次に、「自衛隊の訓練中の誤射により、無人標的機が垂直尾翼に当たった事が機体の異常発生の原因」という説を検証してみたいと思います。

青山氏、角田氏、小田氏は、圧力隔壁の損傷ではなく、相模湾で試運転をしていた護衛艦の「まつゆき」が無人標的機を日航123便に誤射した事が機体の異常発生原因と主張しており、現在、この説を支持する言説が多くみられます。

以下は青山氏が著書で言及している根拠となります。

根拠1:日航123便の搭乗者の小川哲さん(当時41歳)が窓から外を撮影した写真に黒い物体が写っていた。拡大するとオレンジ色で、向こう側に熱の波動が見えることから、飛行機側に向かって飛んできていると推定される。(引用:目撃証言 p97)

根拠2:2015年9月、編集部を訪ねてきた小林美保子さんの静岡県藤枝市での日航123便の目撃情報。垂直尾翼がギザギザのしっぽみたいになっていた。(引用:目撃証言 p105,106)

根拠3:『航空機事故調査報告書付録ーJA8119に関する試験研究資料』に垂直尾翼の中央部に異常外力の着力点を示す図がある。(引用:『圧力隔壁説をくつがえす』p73~76)


青山氏の提示した根拠から見ると、説得力がある説のように感じられますが、

・機体外部から垂直尾翼に何かが当たったとすると、機体が大きくバランスを崩すはずだが、生存者の落合由美さんの証言、異常発生時の操縦席の会話からは、機体が大きくバランスを崩したと推測するのは難しい。

・他の生存者の証言や、亡くなった搭乗者の遺書としてのメモ書きを読んでも、機体内部での爆発を推測しており、外部から何かが当たった、異常発生時に機体が大きくバランスを崩したという記録がない。

・1993年に著書『疑惑』で、自衛隊の無人標的機が垂直尾翼に当たったと推定している角田氏自身のの目撃証言においても、垂直尾翼に異常は確認していない。

・墜落直前の123便を目撃している川上村の住人の証言、上野村の学生の文集において、垂直尾翼に異常があったという目撃証言がない。

・墜落から時間が経ち、後から出てきた写真や目撃証言において、尾翼の欠損が指摘されている。

・「異常外力」という用語が、垂直尾翼の外側を意味しているのか、機体の外側を意味しているのかが判断できない。

などの問題点もあり、私自身は自衛隊のミサイルの誤射によって垂直尾翼が破損したという説を積極的に支持するまでには至っていません。

・護衛艦の「まつゆき」が垂直尾翼の一部を回収しており、事故調査報告書において写真も公開されている

・一般人が撮影した写真では垂直尾翼部分が欠損しているように見える

という事は承知していますが、これだけ証拠物が恣意的に操作されている事件においては、慎重に考える必要があります。

なにより、事故当初の目撃証言と公開されている証拠物が一致しないという事が、後述する複数機の墜落の可能性を考えるきっかけにもなりました。

青山氏の主張の真偽については、相模湾から当時のミサイルの破片が見つかるなどの、決定的な証拠が出てくるまで、判断を保留したいと考えています。

以下、生存者の落合由美さん、角田氏の証言となります。


・生存者 落合由美さんの証言

そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がしました。テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。急減圧がなくても,耳を押さえたくなるような、すごく響く音。前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。

音は、私のちょっとうしろの天井のあたりからしたように感じましたが、そこだけでなく全体的に広がったように思います。私は思わず天井を見上げました。しかし、振動はまったく感じませんでした。機体も揺れなかった。
(引用:『墜落の夏』p69/ 吉岡忍著)


・『疑惑』の著者である角田四郎氏の目撃証言
この事故が発生した1985年8月12日、私は山梨県大月市と神奈川県相模湖の中間に位置する国鉄(現JR)中央線梁川駅にほど近い、とあるスーパーマーケット会社保有の私設キャンプ場にいた。(中略)

そして、大きく手を広げて天を仰いだその時、私の目に場違いと思える大きな飛行機の機影が飛び込んできた。
ほぼ南を向いて立っていた私の左手に、北から南へ向かって、少し右に傾いた民間航空機であった。民間機と瞬時に思ったのは、窓が一列にたくさん見えたからである。見ているとすぐに水平飛行に戻り、ゆっくりと南下して行く。「あれ、ちょっと変わった飛行機だなァ」と考えたことを憶えているが、尾翼があるとかないとか、堕ちるのでは、などとはみじんも思っていなかった。(引用:『疑惑』p54 /角田四郎著)

このように政府の「圧力隔壁の異常発生により垂直尾翼が欠損した」、また、角田氏や青山氏の主張である、「外部からミサイルが垂直尾翼に当たった」のどちらの説をとっても、目撃証言と合わない部分が出てくるとなると、他の可能性を考える必要が出てきます。

何らかの爆発によって操縦系統のコントロールが効かなくなった、という点は事実であり、その点を考慮すると、異常発生の原因として、爆発物による爆破や、その他の可能性などを多岐に渡って検証する必要があります。

もちろん内部爆破の物証があるわけではないので、あくまで可能性の一つに過ぎないのですが、青山氏をはじめとする、123便の墜落は事件であるとの言説を主張においては、最初から撃墜が計画されていた可能性を、「そんな事があるわけがない」と排除している事になります。仮に自衛隊のミサイルが垂直尾翼に当たったとしても、「誤射」という根拠は無いはずです。

本連載で扱っている、米国同時多発テロや2020年以降の新型コロナウイルスのパンデミックなど、事前準備の可能性が指摘されている事件が存在する以上、あらゆる可能性を考えて検証する必要がありますが、その点については別稿で検証したいと思います。
(筆者注:村岡 伸治氏は、著作『天命の陳情』において、日航123便の墜落は内部爆破が原因であると主張しています。グリコ森永事件の犯人が収束宣言を出した同日に、日航機の墜落があったから、グリコ森永事件の犯人が爆破したという推測に基づいて言説なので、詳細は本稿では詳細は取り上げませんが、可能性の一つとして否定する事はできないと考えています。)

=墜落原因に関する情報操作の疑惑=

次に日航123便の墜落原因について検証してみたいと思います。

*政府の公式見解

政府の公式見解は、「123便は圧力隔壁の損壊により操縦不能となり、そのまま迷走して御巣鷹山に墜落した。」というもので、言い換えると、操縦不能以外の墜落原因はないという事になります。

しかし、圧力隔壁の損壊により操縦不能に陥ったという説が説得力を持たない上に、ボイスレコーダーとフライトレコーダーの記録が、異常発生原因同様に、墜落原因の解明に繋がる部分も削除されています。また、証拠物に関しても、警察や日米合同捜査が入る前に、自衛隊が墜落現場に入っており、圧力隔壁を持ち出している事を考慮すると、墜落原因の究明に必要な証拠物がそのまま残されていたか疑問が残る。

などの問題点があります。


=墜落原因は自衛隊のミサイル撃墜という説=

政府の公式発表に対し、墜落前、墜落時の目撃証言から、角田四郎氏、青山透子氏、遺族の小田周二氏は日航123便は操縦不能で墜落したのではなく、自衛隊のミサイルで撃墜されたと主張しています。

確かに、新聞に掲載された目撃証言の中に「流れ星」や「火の玉」といった、ミサイルが発射された可能性を示唆する言葉があります。

角田氏は著書の中で、墜落現場から持ち帰った金属片を、航空機整備をしている米軍の友人に何の説明もせずに見せたところ、たぶんミサイルであろう、という返答を得ている事を書いています。(『疑惑』p411)

また、青山氏は著書において、上野村の小学生が書いた『小さな目を見た』という文集と、中学生が書いた『かんな川5』という文集を貴重な目撃情報として取り上げています。青山氏が取り上げた証言だけを読むと、自衛隊のファントム2機が日航機を撃墜したように解釈できます。

しかし、

・上野村では多数がゴーッという大きな音を聞いているが、日航機そのものを見ている人は少ない。

・上野村の小中学生は、複数名が日航機が墜落する前に数機の飛行機が御巣鷹山上空で旋回しているのを目撃している。墜落そのものは見ておらず、ドーンという音だけ聞いている。

・それに対し、川上村の目撃情報では、全て低空飛行の大きな飛行機を単独で、山の影に墜落するまで目撃しており、御巣鷹山上空を数機で旋回したという証言はない。

・青山氏が著書において、川上村の証言をほとんど取り上げていない事も恣意的に証言を選別している印象を受ける。

という問題点があります。

画像
(GOOGLEマップより)

以下、『小さな目は見た』、『かんな川5』からの引用になります。

*墜落前に聞いた音の証言(上野村)

中学2年 Kさん
夕飯を食べにおかってに行っていたときのことでした。テーブルに向ってそうめんをすすっていました。ゴォーッという音がしたのです。その音は、私の家の屋根をすれすれに西のほうへ行きました。
(筆者注:ゴーッという音を聞いたという事を、多数の小学生、中学生が文集に書いている。)


*墜落前の複数の飛行機の目撃証言(上野村)

小学5年生 S君
十二日の夕方、テレビを見ていたら上の方に、ニュースが出てジャンボ機が長野ふきんでレーダーから消えたということが、出ていました。そして、お父さんが外で「飛行機がおいかけっこしているみたいだぞ。」と言ったので行って見たら、電気がついた飛行機が二機飛んでいました。(以下略)
 
小学5年生 H君
八月十二日の夕方、六時四十五分ごろ南の空の方からジェット機二機ともう一機大きい飛行機が飛んできたから、あわてて外へ出て見た。そうしたら神社のある山の上を何周もまわっているからおじさんと「どうしたんだんべ。」と言って見ていた。おじさんは、「きっと、あの飛行機が降りられなくなったからガソリンを減らしているんだんべ。」と言った。ぼくは、「そうかなあ。」と思った。それからまた見ていたら、ジェット機二機は、埼玉県の方へ行ってしまいました。(以下略)

中学1年生 Y君
午後七時少し前、蚕にくわをくれていたら雷のようなおとがしました。ぼくの家の下の人は、真っ赤な飛行機を見たといいました。ぼくはその時、どうして飛行機がこんな方に飛んできたのかと思いました。それも、真っ赤な飛行機。ぼくはその時、いやなことがおこらなければよいとと思いました。

中学2年生 K君
テレビを見る前に三回ほど大きな飛行機の飛んでいる音を聞いた。二回は茨木のほうから飛んできたジェット機だと思う。三回目に聞いた時は茨木の方にもどっていくのが見えたから一番初め聞いたのがたぶん日航機だと思う。

中学3年生 Y君
「その日は、やたら飛行機の音がしていた。父ちゃんがおかしく思って外に出ていって、『おい、Y、飛行機が飛んでいるぞ。来てみろ。』と言ったので行ってみた。飛行機は大きいような飛行機と小型のジェット機が2機飛んでいた。五分以上もたっているのに、さっきから、ぐるぐる回ってばかりいた。外にいると蚊にさされるので家の中にはいった。そしてテレビを見ていたら『キロリン、キロリン』と音がして、なおいっそうテレビに注目した。ニュース速報で、大阪行き日航ジャンボジェット機123便が、レーダーから消えました。と書いてあった。


*墜落時の目撃証言

筆者注:角田四郎氏の著書『疑惑』のp89~101までに目撃証言がまとめてあるので、そちらを参考に引用。異常発生後の東伊豆から墜落までの飛行経路に沿っての目撃証言が約30件、掲載されているが、垂直尾翼の異常に関する目撃証言はない。

川上村の主婦、中島初代さん(県警第一報・朝日新聞8月13日朝刊)
午後6時50分ごろ、埼玉県方面から飛んできた飛行機が赤い炎をあげ、やがて黒い煙を残して南相木村と群馬県境に消えた。
(筆者注:当日のNHKながの放送では中島さんの110番通報として、「今夜7時5分頃、群馬県と長野県の相木村の境にセスナ機より大きな飛行機が堕ちて、黒い煙があがった。」と報道)

川上村の別の主婦(氏名不明)朝日新聞 8月13日朝刊
飛行機は南から北へ、左を下げる(向かってと考えられるので右主翼を下げ)ように旋回しながら三国山の向こう側(群馬県側)に消えた。『ドーン』と大きな音がして空が真っ赤になり、原爆のようなキノコ雲があがった。

川上村梓山、井上薫さん(当時64歳)「週間プレイボーイ」11月26日号
自宅上空でゴーッというすざましい音がしたので、家の前の河原に出て空を仰いだ。まもなく、南東の五郎山(2132メートル)をかすめるようにして、見たこともないほど大きな飛行機が現れた。爆音はさらに大きくなり、飛行機は頭上で大きく旋回し、次に逆に旋回したと思うと、急に機首を下げて、扇平山(1700メートル)と神立山(1979メートル)の交差する稜線の向こう側に消えた(神立山は別名、高天原山)。
その直後、ピカッと閃光が上がり、続いて炎が燃え上がるのが見えた。
その炎はやがて巨大な黒いキノコ雲になって天に上った」
筆者注:閃光の目撃者が複数いる。)

川上村 K君(当時11歳)毎日新聞9月7日朝刊
だれかが『光るものが飛んでくる』と叫んだ。巨大なジャンボ機が山の
端をかすめるようにゆっくり飛んでいた。南東の方向の山の上からゆっくり近づいてきた。頭の上で右旋回し始め北へ向かった。木のかげに隠れたので50メートルほど走って行くと、機の後ろ姿が一瞬見え、そのまま山かげに隠れた。その間一分弱。20秒くらいして山の向こうに真っ赤なキノコ雲が立ち上がった。それは数秒で消えて、二つ目のキノコ雲が現れた。その十数秒後、黒い煙がモクモクとわいてきた。

石川哲さん(当時38歳)朝日新聞8月16日朝刊
石川さんらは、十二日午後、長野県佐久間郡川上村梓山の実家の近くにある畑で、レタスの葉の消毒作業をしていた。墜落現場の南約六キロの地点だ。あたりが薄暗くなり始めた午後七時ごろ、東南にある甲武信ヶ岳(二四七五メートル)の北側の尾根から、突然、大きなジェット機が姿を現した。「まるで石を投げたら当たるような超低空飛行だった。」と石川さん。
飛行機は千曲川にそって西に進んだが、正面には扇平山(一七〇〇メートル)が迫っていた。右翼を下げて飛行機は約九〇度旋回した。進行方向には三国山(一八一八メートル)がある。
「もう、ぶつかると思ったが、機首をぐっと持ち上げて、山の斜面をはうように上昇していった。機首の上部が後ろからでも見えるほどの急角度のまま、やっと尾根を越えた。姿が見えなくなって数秒後に、黒い煙が、続いて白い煙が上がった」という。


*ミサイルが発射された可能性を示唆している目撃証言

南相木村中島の住民三人(読売新聞 8月13日朝刊)
飛行機が飛んでいった後から、流れ星のようなものが近くに飛んでくるものが見えた。

埼玉県浦和市白幡 吉岡巧治さん(当時34歳)朝日新聞8月13日朝刊
西空をながめていたところ、突然、雲のすき間から太陽が射すようなオレンジ色のせん光を見た。双眼鏡でのぞくと、両側から青、真ん中から赤い光を発した大型機が北の方に消えた。

12日夕・政府発表 長野県や東京横田基地周辺から寄せられた情報
火の玉が飛んでいくのを見た。



これらの証言を素直に読むと、上野村において目撃された墜落前における複数の飛行機の旋回と、川上村において墜落まで目撃された飛行機の証言が一致していない事がわかります。

以下に疑問点をまとめてみます。

・目撃証言を素直に読む限り、ミサイルが発射された可能性がある。青山氏はあくまで御巣鷹山上空でファントムにより日航123便にミサイルが発射され、撃墜されたとの説である。しかし、それ以前にもミサイルが発射された可能性を示唆する証言がある。

・上野村で日航機の墜落前に目撃された上空を旋回していた3機のジェット機を含む飛行機、川上村で目撃された墜落直前のジャンボ機を同一機としてみなして良いのか疑問が残る。

・青山氏は、自衛隊のファントムが追尾していると解釈できる目撃証言以外、特に川上村の目撃証言については取り上げていない。

・角田氏は、墜落現場上空を複数機が旋回していた証言が載っている、上野村の小中学校の文集は取り上げていない。

・上野村住民がゴーッという音を聞いた飛行機、川上村目撃されたセスナより大きな飛行機が日航123便かどうかはわからない。

このように、目撃証言により、場合によっては日航機墜落の全体像の見直しを迫るような、新たな疑問点が出てきます。

上野村で目撃された機体と、川上村で目撃された機体は別の機体の可能性があるという、青山氏、角田氏、小田氏の説を想定を超える説に加え、

・墜落時に複数の人が墜落直前に空が光る程の「閃光」を見たと証言しているが、「閃光」は123便が山に激突した衝撃、もしくはミサイルが原因など断定できるのか?(他の可能性はないのか?)

・最大の問題点として、川上村で目撃された飛行機と、上野村で墜落前に旋回していたジェット機が同一の飛行機でないと仮定した場合、同時刻に複数機が同じ場所に集まってきた事になる。日航123便の墜落場所が事前に想定されていた可能性はないか?

という点においても、検証が必要であると考えています。

もちろん、上記は、事実を追求しようとする側においても、自身の想定の中で検証を進めるため、心理的な抵抗(幸福否定理論における抵抗)により「考慮されなければいけない可能性が恣意的に排除されている」という指摘になります。

本連載では、社会構造の実態を理解する時に起こる心理的な抵抗という視点で本件を扱っているため、真相追求の名のものでも行われている恣意的な情報選択の指摘を行っていますが、日航123便の件の真相究明を目的とするならば、

・ボイスレコーダーの開示。

・ミサイル発射に関しては、決定的な証拠としてはミサイルの破片などの物証の専門機関による鑑定。

・複数機の墜落に関しても、証拠としては現場の物証の鑑定。(筆者注1)

などの直接的な証拠が必要になってきます。

この点、青山氏は手に入った証拠物の専門家による分析や状況証拠からの論拠を著書で明記し、ボイスレコーダーの開示を求めた裁判を行っており、真相究明に関して極めて責任ある手続きを行っている事を付記しておきます。

次回は、墜落場所に関する政府の情報操作の疑惑、搭乗者の死因に関する情報操作の疑惑、について書きたいと思います。


筆者注1:『(新)日本の黒い霧』 というブログにおいて、複数機の墜落があったという主張がなされており、現場から回収した機体破片の画像も掲載されています。複数機という着想を得る事ができた反面、旧ソ連をはじめとする、多国籍の戦闘機が関与しての戦闘や、日航123便墜落には天皇が関係しているなど、直感的には飛躍を感じる主張がなされている印象があります。載されている証拠物の真偽を確かめる事ができないため、心情的には受け入れにくい説ではありますが、判断は保留にしています。

この投稿へのコメント

コメントはありません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

この投稿へのトラックバック

トラックバックはありません。

トラックバック URL