『人間性の否定と虚構の世界』ー8/1985年の日航ジャンボ機墜落に関する疑惑③
* 本連載の目的 *
本連載は、一次資料をもとに自分自身の頭で考えるというテーマで書いた『「お金・相場」に関する幸福否定の研究』の続編として位置づけています。
心理療法家の笠原敏雄先生が提唱した、「反応を追いかける」という方法論を使って明らかになった事や、経緯を書いていますが、主張内容は筆者個人のものです。
また、権力者や専門家を批判する内容もありますが、一般大衆の態度や要求も問題にしており、特定の層を糾弾する意図はありません。集団における異常行動の原因となる、幸福否定理論で説明できる心理的抵抗の検証を目的としています。
*大まかな流れ*
『「お金・相場」に関する幸福否定の研究』において、「お金とは何か?」という事に対して、多くの人において抵抗が強い事がわかりました。
その後、「核兵器・原子力」の分野と、「土壌」という分野においても、集団での抵抗がある事がわかっています。
本稿は、「核兵器・原子力」の集団抵抗と、その背景にある社会システムの分析過程という位置づけになります。
* 用語説明 *
幸福否定理論:心理療法家の笠原敏雄先生が提唱。心因性症状は、自らの幸福や進歩を否定するためにつくられるという説。娯楽は難なくできるのに、自らの成長を伴う勉強や創造活動に取り組もうとすると、眠気、他の事をやりたくなる、だるさ、その他心因性症状が出現して進歩を妨げる。このような仕組みが特定の人ではなく人類にあまねく存在するという。
抵抗:幸福否定理論で使う”抵抗”は通常の嫌な事に対する”抵抗”ではなく、許容範囲を超える幸福、自らの成長・進歩に対する抵抗という意味で使われている。
反応:抵抗に直面した時に出現する一過性の症状。例えば勉強しようとすると眠くなる、頭痛がする、など1985年の日航ジャンボ機墜落の疑惑に関して、国、官庁、専門家、報道関係などのいわゆる「権威」の実態と、大衆の側の問題点という視点で書いてみたいと思います。
(前略)重要な証拠物の圧力隔壁が現場でほぼそのままの状態で見つかったにもかかわらず、遺体収容や搬出困難といった理由で、日米合同調査の事故調査委員が来る前日の十五日に自衛隊が大型カッターで五分割にしてしまったのはなぜか。
一九八五年八月十七日付けの読売新聞記事では「この隔壁は、その後の遺体収容作業の折、遺体確認と運びだしの邪魔になるとして切断され、再度調査委員が訪れた時には、亀裂と放射状の骨組みにそって細かく切り刻まれたうえ、積み重ねられていた。」と書かれている。「隔壁の破損が飛行中に起きたのか、墜落時の衝撃で亀裂が入ったのか不明」としている。
また「事故調査委員のメンバーの一人は、墜落直後の十三日に機体後部が見つかった谷底で、おわん状の原形をほぼ完全に残した隔壁を発見。アルミ合金製の隔壁に放射状の亀裂が数ヵ所入っている事を確認した。隔壁はその後捜索活動の中で、エンジンカッターで切断されバラバラになったらしい。この破片は救出現場で機体の他の部分と一緒に山積みにされており(略)」と大原則である現場保存がないがしろにされていたことが明確になった。事故調査報告書が主張する圧力隔壁破壊説は、こうやって墜落後に切り刻んだ断面をレプリカで再生して調査したにすぎない。日本航空の安全啓発センターに置いてあるものは意図的に切断されてバラバラになったものを繋ぎ合わせたものなのである。(『日航123便 墜落の新事実』p10~11/ 青山透子著)
・生存者 落合由美さんの証言
そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がしました。テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。急減圧がなくても,耳を押さえたくなるような、すごく響く音。前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。
音は、私のちょっとうしろの天井のあたりからしたように感じましたが、そこだけでなく全体的に広がったように思います。私は思わず天井を見上げました。しかし、振動はまったく感じませんでした。機体も揺れなかった。
(引用:『墜落の夏』p69/ 吉岡忍著)
・『疑惑』の著者である角田四郎氏の目撃証言
この事故が発生した1985年8月12日、私は山梨県大月市と神奈川県相模湖の中間に位置する国鉄(現JR)中央線梁川駅にほど近い、とあるスーパーマーケット会社保有の私設キャンプ場にいた。(中略)
そして、大きく手を広げて天を仰いだその時、私の目に場違いと思える大きな飛行機の機影が飛び込んできた。
ほぼ南を向いて立っていた私の左手に、北から南へ向かって、少し右に傾いた民間航空機であった。民間機と瞬時に思ったのは、窓が一列にたくさん見えたからである。見ているとすぐに水平飛行に戻り、ゆっくりと南下して行く。「あれ、ちょっと変わった飛行機だなァ」と考えたことを憶えているが、尾翼があるとかないとか、堕ちるのでは、などとはみじんも思っていなかった。(引用:『疑惑』p54 /角田四郎著)
*墜落前に聞いた音の証言(上野村)
中学2年 Kさん
夕飯を食べにおかってに行っていたときのことでした。テーブルに向ってそうめんをすすっていました。ゴォーッという音がしたのです。その音は、私の家の屋根をすれすれに西のほうへ行きました。
(筆者注:ゴーッという音を聞いたという事を、多数の小学生、中学生が文集に書いている。)
*墜落前の複数の飛行機の目撃証言(上野村)
小学5年生 S君
十二日の夕方、テレビを見ていたら上の方に、ニュースが出てジャンボ機が長野ふきんでレーダーから消えたということが、出ていました。そして、お父さんが外で「飛行機がおいかけっこしているみたいだぞ。」と言ったので行って見たら、電気がついた飛行機が二機飛んでいました。(以下略)
小学5年生 H君
八月十二日の夕方、六時四十五分ごろ南の空の方からジェット機二機ともう一機大きい飛行機が飛んできたから、あわてて外へ出て見た。そうしたら神社のある山の上を何周もまわっているからおじさんと「どうしたんだんべ。」と言って見ていた。おじさんは、「きっと、あの飛行機が降りられなくなったからガソリンを減らしているんだんべ。」と言った。ぼくは、「そうかなあ。」と思った。それからまた見ていたら、ジェット機二機は、埼玉県の方へ行ってしまいました。(以下略)
中学1年生 Y君
午後七時少し前、蚕にくわをくれていたら雷のようなおとがしました。ぼくの家の下の人は、真っ赤な飛行機を見たといいました。ぼくはその時、どうして飛行機がこんな方に飛んできたのかと思いました。それも、真っ赤な飛行機。ぼくはその時、いやなことがおこらなければよいとと思いました。
中学2年生 K君
テレビを見る前に三回ほど大きな飛行機の飛んでいる音を聞いた。二回は茨木のほうから飛んできたジェット機だと思う。三回目に聞いた時は茨木の方にもどっていくのが見えたから一番初め聞いたのがたぶん日航機だと思う。
中学3年生 Y君
「その日は、やたら飛行機の音がしていた。父ちゃんがおかしく思って外に出ていって、『おい、Y、飛行機が飛んでいるぞ。来てみろ。』と言ったので行ってみた。飛行機は大きいような飛行機と小型のジェット機が2機飛んでいた。五分以上もたっているのに、さっきから、ぐるぐる回ってばかりいた。外にいると蚊にさされるので家の中にはいった。そしてテレビを見ていたら『キロリン、キロリン』と音がして、なおいっそうテレビに注目した。ニュース速報で、大阪行き日航ジャンボジェット機123便が、レーダーから消えました。と書いてあった。
*墜落時の目撃証言
筆者注:角田四郎氏の著書『疑惑』のp89~101までに目撃証言がまとめてあるので、そちらを参考に引用。異常発生後の東伊豆から墜落までの飛行経路に沿っての目撃証言が約30件、掲載されているが、垂直尾翼の異常に関する目撃証言はない。
川上村の主婦、中島初代さん(県警第一報・朝日新聞8月13日朝刊)
午後6時50分ごろ、埼玉県方面から飛んできた飛行機が赤い炎をあげ、やがて黒い煙を残して南相木村と群馬県境に消えた。
(筆者注:当日のNHKながの放送では中島さんの110番通報として、「今夜7時5分頃、群馬県と長野県の相木村の境にセスナ機より大きな飛行機が堕ちて、黒い煙があがった。」と報道)
川上村の別の主婦(氏名不明)朝日新聞 8月13日朝刊
飛行機は南から北へ、左を下げる(向かってと考えられるので右主翼を下げ)ように旋回しながら三国山の向こう側(群馬県側)に消えた。『ドーン』と大きな音がして空が真っ赤になり、原爆のようなキノコ雲があがった。
川上村梓山、井上薫さん(当時64歳)「週間プレイボーイ」11月26日号
自宅上空でゴーッというすざましい音がしたので、家の前の河原に出て空を仰いだ。まもなく、南東の五郎山(2132メートル)をかすめるようにして、見たこともないほど大きな飛行機が現れた。爆音はさらに大きくなり、飛行機は頭上で大きく旋回し、次に逆に旋回したと思うと、急に機首を下げて、扇平山(1700メートル)と神立山(1979メートル)の交差する稜線の向こう側に消えた(神立山は別名、高天原山)。
その直後、ピカッと閃光が上がり、続いて炎が燃え上がるのが見えた。
その炎はやがて巨大な黒いキノコ雲になって天に上った」
(筆者注:閃光の目撃者が複数いる。)
川上村 K君(当時11歳)毎日新聞9月7日朝刊
だれかが『光るものが飛んでくる』と叫んだ。巨大なジャンボ機が山の
端をかすめるようにゆっくり飛んでいた。南東の方向の山の上からゆっくり近づいてきた。頭の上で右旋回し始め北へ向かった。木のかげに隠れたので50メートルほど走って行くと、機の後ろ姿が一瞬見え、そのまま山かげに隠れた。その間一分弱。20秒くらいして山の向こうに真っ赤なキノコ雲が立ち上がった。それは数秒で消えて、二つ目のキノコ雲が現れた。その十数秒後、黒い煙がモクモクとわいてきた。
石川哲さん(当時38歳)朝日新聞8月16日朝刊
石川さんらは、十二日午後、長野県佐久間郡川上村梓山の実家の近くにある畑で、レタスの葉の消毒作業をしていた。墜落現場の南約六キロの地点だ。あたりが薄暗くなり始めた午後七時ごろ、東南にある甲武信ヶ岳(二四七五メートル)の北側の尾根から、突然、大きなジェット機が姿を現した。「まるで石を投げたら当たるような超低空飛行だった。」と石川さん。
飛行機は千曲川にそって西に進んだが、正面には扇平山(一七〇〇メートル)が迫っていた。右翼を下げて飛行機は約九〇度旋回した。進行方向には三国山(一八一八メートル)がある。
「もう、ぶつかると思ったが、機首をぐっと持ち上げて、山の斜面をはうように上昇していった。機首の上部が後ろからでも見えるほどの急角度のまま、やっと尾根を越えた。姿が見えなくなって数秒後に、黒い煙が、続いて白い煙が上がった」という。
*ミサイルが発射された可能性を示唆している目撃証言
南相木村中島の住民三人(読売新聞 8月13日朝刊)
飛行機が飛んでいった後から、流れ星のようなものが近くに飛んでくるものが見えた。
埼玉県浦和市白幡 吉岡巧治さん(当時34歳)朝日新聞8月13日朝刊
西空をながめていたところ、突然、雲のすき間から太陽が射すようなオレンジ色のせん光を見た。双眼鏡でのぞくと、両側から青、真ん中から赤い光を発した大型機が北の方に消えた。
12日夕・政府発表 長野県や東京横田基地周辺から寄せられた情報
火の玉が飛んでいくのを見た。
筆者注1:『(新)日本の黒い霧』 というブログにおいて、複数機の墜落があったという主張がなされており、現場から回収した機体破片の画像も掲載されています。複数機という着想を得る事ができた反面、旧ソ連をはじめとする、多国籍の戦闘機が関与しての戦闘や、日航123便墜落には天皇が関係しているなど、直感的には飛躍を感じる主張がなされている印象があります。載されている証拠物の真偽を確かめる事ができないため、心情的には受け入れにくい説ではありますが、判断は保留にしています。
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