幸福否定の研究 6・7 一般的に見られる愛情否定 

■ 幸福否定の研究 6 一般的に見られる愛情否定1
今回は、一般的にもわかりやすい”愛情否定”を紹介したいと思います。
友人、知人などとの普段の会話の中でも、
・何度も同じタイプを付き合い失敗する。

・どちらかが追いかけると、どちらかが離れるという事を繰り返す。(自分から別れたいと言いながら、寄りを戻したいなど)

・何年も相手の悪口を言い、別れると言いながら結局別れない。(これは愛情否定でもありますが、心理的な距離が縮まっているので愛情が深まっているケースです)

といった話題はよく耳にするのではないでしょうか。

私自身、病気に関する幸福否定は、治療を通じての経験もあったので比較的容易に理解できました。この愛情否定に関しては、人生経験の不足もあり、幸福否定の観点から考えた事もありませんでしたが、指摘されればその通り、と納得してしまいました。

仕事柄、女性と話をする事が多いのですが、独身でオシャレもしていて仕事も順調、恋愛もしている女性がどことなく不安定で(脈絡もなく施術中に泣きだしたり…という経験もあります)旦那さんの悪口ばかり言っているオバサンのほうが、精神的に安定しているように感じてはいたのですが、なぜそうなるのかも理解することができました。

以下、笠原氏の 心の研究室 「恋愛感情と愛情」 から要約、引用します。

・ 愛情が深くなると倦怠期という段階が訪れる(心理的な距離が近くなる)

遠慮が無くなり、自分の欠点を見せ始め、相手の欠点が鼻につくようになり、顔を合わせるのが嫌になる。また、身体的な接触を嫌う事もある。一般的には”愛情がなくなった”と勘違いされる。自然な経過なので、恋人同士の頃のようにもとに戻る事はない。

・ 愛情否定が強いと心理的距離が遠い関係を続ける事になる。

傍から見ると、揉め事もなく仲むつまじく見えるが、何年経っても他人行儀から抜け出す事ができない。(恋人や愛人に対するような関係が続く)周囲から見ると、一見仲むつまじいが、他人行儀な態度をとり続けている様子は奇異に見える。また、心理的に近い距離になれないため、恋人の状態を繰り返す場合は、相手を何度も変える事になる。

・愛情が深くなると、その先はどうなるのか?

単なる同居人になってしまうのか? 注1

妻と愛人との比較がヒントになる。

以上 要約

“この先を考えるヒントになるのは、たとえば妻と愛人の比較です。妻と愛人とがいる男性が、交通事故や脳卒中で寝たきりになったとします。そうすると、この男性を介護するのはどちらでしょうか。意識では、この男性は、妻よりも愛人のほうにはるか“愛情”を感じているはずです。 (中略)ここではっきりしているのは、よほど特殊な事情でもない限り、愛人が妻を差し置いて介護することはないということです。それは、日陰の存在だからとか、その義務がないためということではなく、そういう間柄――法的な意味ではなく、心理的な意味での間柄――にないからでしょう。長年同居している場合を別にすれば、愛人とは、妻と違って表面的な関係にすぎず、「雨降って地固まる」という経過を何度となく繰りかえしてきたような、親密な間柄ではないのです。では、妻は、単なる義務意識や損得勘定から、自分が嫌悪する夫の介護をしぶしぶするのでしょうか。 ”

以上、引用 心の研究室 「恋愛感情と愛情」

結論は、義務意識や損得勘定ではなく愛情という事になります。引用ばかりになってしまいますが、次回、“義務意識や損得勘定ではなく愛情”という部分の検証を紹介したいと思います。

(続く)

注1:30代の女性から”友人が旦那さんの事を”同居人”と呼びだすと、離婚の話になる事が多い”という話を聞いたことがあります。もともと愛情がない相手と結婚したために、本当の意味で同居人のようになってしまう場合と、距離が近づいたため愛情否定が強くなり、接触を嫌いだす場合の両方が考えられますが、愛情否定のほうが多いでしょう。

■ 幸福否定の研究 7 一般的に見られる愛情否定2
幸福否定の一つに、親密な人間関係をつくれないという症状があります。
はっきりと“人間関係が苦手”という意識を持っている場合もありますが、表面的な人間関係を繰り返し、本人の自覚がない場合もあります。恋愛関係を繰り返すというのも、一見人間関係に問題がないように見えますが、親密な関係をつくれない、という意味では本質的には同じ問題を抱えている事になります。
幸福否定が解消せず、表面的な人間関係を繰り返すか。幸福否定が薄らぎ深い人間関係をつくれるようになるか。その例として、ある女性の話が載っています(心の研究室「恋愛感情と愛情」)
その女性は恋愛経験がなく、自分は女性としての魅力がないと思いこんでいましたが、心理療法が進み、ある男性を好きになり告白します。しばらく多少の駆け引きのような状態が続いた後、交際はできないと断られる事になります。その返事を受けてショックを受けたのですが、通常の痛手の他に幸福否定による症状がないかを調べたところ(注1)”相手が自分のことを、遊び感覚でつきあう軽い相手としてではなく、真剣な交際の対象として考えてくれていたこと”の嬉しさの否定もあることがわかったようです。そしてそのことが明らかになるにつれ、本人も本当に好きでもない異性と気軽に付き合うべきではないという信念を持っていた事に思い至る事になり、

異性と簡単に交際が始められる人たちの場合には、互いにそれほど好きな相手ではないからこそ、さしたる抵抗もなく、気軽に交際が始められるということなのではないか、そのため、交際がある程度続いて愛情が深まる段階になると、そこで抵抗が起こって、あわてて遠ざかるということなのではないか。したがって、相手を次々と替えてゆくような、“恋愛経験”が豊富な人たちであってもやはり、本当に好きな相手とは、交際を始めること自体が難しいのではないか。

心の研究室サイト ”恋愛感情と愛情”

という事に気がつかされるようになります。

長さの関係で詳細は省略しますが、恋愛経験が豊富かどうかや、文化の違い(アメリカでの調査を参考)を問わず、本当に好きな相手に接すると、抵抗に直面した時の反応(過度の緊張状態、気弱になる、どうにかなりそう、など)がでるようです。このようなハードル(近づくだけででる”反応”や、倦怠期など)を乗り越えていく事が愛情を深めるという事になり、本当の意味での自信に繋がっていきます。逆にハードルを避ける結果としてできる人間関係が恋愛豊富や愛人という事になります。
愛情がどのようなものかがわかってくると、なぜ、恋愛豊富でオシャレな独身者よりも、旦那さんの悪口ばかり言っているオバサンのほうが精神的に安定しているのか、また、長年に渡る介護や看病などが続けられる人間関係とはどのようなものかがわかってきます。
愛情に関しても、自分の本当の喜びになる事には抵抗に直面する事になり、幸福否定の症状が出やすく、恋愛豊富や愛人のような表面的な関係を続けている分には、困難も少ない代わり、本当の意味での深い人間関係を築いたり、それによって本人が自信を持つという事もないという事になります。
以上、一般的にも観察できる例として、【愛情に関する幸福否定】について書かせて頂きました。今回も要約、引用ばかりになりましたが(注2)病気の治療に関する事よりは身近に経験することではないでしょうか。

筆者が幸福否定に興味を持つに至った経緯(病気を改善を拒否する患者さん達)、一般的に見られる幸福否定としての、愛情否定の話が終わったので、次回以降は、笠原氏の”幸福否定”の発見と心理療法の確立までの経緯の紹介に移りたいと思います。(続く)

注1: 実際の心理療法では、通常の痛手としてのショックなのか、幸福否定の症状なのかを時間をかけて詳しく調べています。この女性の場合は、通常の痛手(交際を断られたショック)と、幸福否定の症状(相手が自分の事を軽い相手ではなく、真剣に考えてくれたこと)が混在していたようですが、通常の痛手は治療の対象にはならず時間の経過を待つしかありません。幸福否定の症状は、原因がはっきりすると解消します。
注2: 全文が 心の研究室サイト ”恋愛感情と愛情” の要約。重要な部分は、全文引用。恋愛豊富な独身者のほうが不安定、というくだりは筆者の経験によるものです。

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