幸福否定の研究 8~10 幸福否定の発見と心理療法の確立までの経緯

■ 幸福否定の研究 8 幸福否定の発見と心理療法の確立までの経緯1
ここから先は、笠原氏による「幸福否定の発見と心理療法確立」の経緯を紹介していきたいと思いますが、今回は、私が笠原氏の心理療法にたどり着いた経緯を簡単に書いてみます。
2002年~2003年頃、人格障害の患者さんを数名施術する事になりました。うつ病や神経症といった症状で来院するので、その背後に人格障害があるかどうかは最初はわかりません。病院でどのように診断されたかを確認しますが、軽い病名をつけてもらっていたり、また、患者本人が診断名を正直に言わない事がほとんどです。
一言で人格障害と言っても、色々タイプがあるようですが(注1)私の治療院に来た患者さんは、リストカットや薬物中毒、自殺未遂、(誰かに見つかるような状態で行う事が多いので、実際の自殺例は経験がありません)あるいは、周囲に自殺をほのめかす…などの症状を共通して持っていました。このような患者さんは、正常な生活を送っていて、うつ病、神経症などになった患者さんよりも異常性が高く、通常の人間関係が成立しません。
「周囲に何度も自殺をほのめかす」などがわかりやすい例ですが、「虚言が多かったり、行動も常識の範囲を超える事が多い」ので、西洋医学、代替医療を問わず「治療関係を結ぶ事自体が難しく、治療は難しい」と考えられています。
また、西洋医学での薬の効きも悪く(注2)東洋医学系の”治癒力、循環を良くする、自律神経を安定させる”などの施術では少し症状が改善するだけで根本的な部分には全く手が届かないという事も痛感させられました。

そして、ほぼ同時期に統合失調症の患者さんも経験する事になります。

もともと、私の施術では、統合失調症は禁忌として明記してあるのですが、患者さんが禁忌の意味を知らずに来院しました。統合失調症を血流を良くするという発想の施術で解決するのは無理がある、という旨の説明をしましたが、薬の副作用が辛いから多少でも楽になれば、という事で施術を開始しました。この患者さんも、薬の副作用は楽になりましたが、後に再発することになります。
もともと正常だった人のうつ病(厳密にはほとんどが”うつ状態”に陥っているケース)は東洋医学的な施術で改善する事も可能ですが、人格障害、統合失調症などの異常性(少し言葉がきつくなってしまいますが)、自己破壊性の高い疾患は全く太刀打ちできないという事もはっきりとわかってきました。
この種の病気の施術からは手を引こう、と、半ば諦めていたのですが、人格障害で来院していた10代の女性だけが、様々な症状を繰り返しながらも1人だけ根本改善し、数年の時間をかけて日常生活ができるようになっていきました。(注3)

なぜ1人だけ根本改善したのか?という事も引っかかっていましたが、2006年の正月に笠原氏の著書、なぜあの人は懲りないのか 困らないのか -日常生活の精神病理学-を偶然本屋で見つけ、心理療法の勉強をしていくうちに、なぜ改善したのかという疑問が解けていく事になります。

そして、統合失調症、人格障害などに根本的な治療法が存在しているということを知ったのです。

(続く)

注1:私は医師ではないので細かい診断はできません。あくまで、施術をしても大丈夫か、という点で患者さんに診断名を聞きます。

注2:薬が効く効かない以前に「医師の言うとおりに飲む」のが難しいという問題があります。(全く飲まない、気分で飲む飲まないを決める、あるいは自殺未遂として大量に飲む、など)

注3:2008年の時点で通常に仕事ができるようになるまで改善した事を確認しています。但し、本人は“完全には治っていない”という旨の事を言っているため、日常生活は普通にできるようになったが、完治はしていないと考えています。(たまに軽い神経症症状が出るようです)
■ 幸福否定の研究 9 幸福否定の発見と心理療法の確立までの経緯2
今回は、笠原氏の心理療法を簡単に説明したいと思います。

抵抗に直面すること(注1)
核となる部分は、非常に単純ですが、この一言で説明できます。抵抗に直面すると反応(注2)が出るので、この反応が出るかどうかが、抵抗に直面しているかどうかの目安になります。以下の笠原氏のテキストが抵抗に直面し、反応が出ている例になります。
たとえば、締め切り間際にならないと課題に手がつけられない者が、まだ時間の余裕が十分あるうちにその課題に無理やり手をつけようとした場合を考えてみよう。

まず、さまざまな雑念が沸くなどして、その課題を始める態勢に持ってゆくこと自体が、非常に難しいであろう。机を使う仕事であれば、机の前に坐るまでに、実に長い時間がかかる。努力の末、ようやく覚悟を決めて座っても、今度は、別のことをしたい気持ちが強く沸き起こってくる。

娯楽的なことをしたくなったり、片づけをしたくなったり、無関係の本や雑誌を読みたくなったり、横になりたくなったりするのである。これが“現実逃避”とか“時間つぶし” と言われる現象の本質である。

そうした逃避的誘惑を何とかこらえて、無理に課題に取りかかろうとすると、今度は反応が起こるようになる。あくびが出たり眠気が起こったりすることもあれば、頭痛や下痢や脱力などの身体症状が出ることもあるし、鼻水やかゆみや喘息などのいわゆるアレルギー症状が起こることもある。

(以下略)

これが簡単にできれば問題はないのですが、実際にできる事は、まずありません。簡単にできないからこそ幸福否定なのですが、治療法として“感情の演技”という方法を使います。病気が治った場面、試験に合格した場面など、実際は嬉しいはずなのに抵抗があり、素直な感情が沸いてこない問題点を探すのです。
そして実際に、「病気が治って嬉しい」「試験に合格して嬉しい」などの感情をつくってみます。2分間、実際に感情をつくってみると、抵抗に直面するため、反応(集中できない、眠気、あくび、心身の変化)が出ます。
これをひたすら繰り返す事で、抵抗が弱まり、症状や病気だけでなく、自然と様々な事が改善していきます(注3)
簡単に概要を書きましたが、この抵抗反応はいったいどのようにして発見されたのでしょうか。笠原氏は、自身の心理療法を確立する前に、小坂英世という精神科の医師が開発した「小坂療法」という治療法の追試をしていました。
心理学科を卒業し、鳥類の行動観察を目指して北海道に渡った私は、生活のために精神科病院に勤務した。

その年の夏、たまたまそこに研修に訪れた、関西の医学生たちから得た情報を通じて、動物の観察から人間の観察へと関心を移し、その精神科病院で、主として精神分裂病の心理療法を六年近く行ったのが、心理療法の経験の出発点になった。

それは分裂病治療のための、きわめて特殊な心理療法であった。

小坂療法と呼ばれるその心理療法では、症状出現の直前にあるはずの心理的原因を探り出す。分裂病患者はその原因の記憶を”抑圧”しているが、それを推理して指摘し、本人に思い出させると、それに対する反応(強い場合には、驚愕反応)が出現するとともに、一瞬のうちに分裂病症状が消えて正気に戻る。

ほとんどの場合、薬物の必要がなくなるので、ふつうの人が服用した場合と同じように、強い副作用が出現する。そして、患者自身が、その症状出現に至る経緯を物語る事ができる。(「幸福否定の構造」 P31-32)

小坂療法を知った笠原氏の最初の態度は以下のようなものでした。このときの反応は笠原氏だけに特有のものではなく、小坂療法へのごく一般的な態度だと解釈できます。
その話を最初に聞いた時、私は、分裂病のことなどほとんど知らなかったにもかかわらず、不遜にも、その方法に疑念を抱き、小坂という精神科医は、分裂病のことなど何も知らないのではないかと思った。(中略)難知性疾患の症状が、そのような手続きだけで、しかも瞬時に消えるはずがない、と考えたからである。また、この手順は精神分析療法とほとんど同じであるし、長年月にわたって、世界中の研究者が必死になって研究を重ねてきているので、その程度のことであれば、これまでわからなかったはずがないではないか。それが、世間が共有する常識というものであろう。(「幸福否定の構造」 P32)
しかし、強い疑念を抱いたものの、笠原氏は追試という科学的アプローチで小坂療法への接近を試みます。
とはいえ、そのような常識的判断から離れ、その仮説を自分で実際に追試してその真偽を確認しなければ、本当のことはわからない。それが科学的手順というものである。従来の知識に基づいて論理的に判断しているだけでは、新しい観察所見や仮設は、すべて却下されてしまい、科学の世界に参入することができない。(中略)そのためにこそ、観察や実験を別個に行って、その主張や仮説の真偽を検証するのである。科学はそのようにして進められてきた。(「幸福否定の構造」 P32)
今現在、小坂療法は完全に無視され、否定されているような状況です。しかし、正確に追試をして否定をした例が一つもありません。物理に例えると、実験もしないで「そんな事があるはずがない」と常識に合わないからと却下されているようなものです。
ここも大きなポイントの一つになります。
次回以降、小坂療法について詳述しますが、その前に、まず“実証主義”について述べることにします。

(続く)


注1
:私の心理療法で言う〈抵抗〉とは、世間の常識や精神分析などの心理療法理論が想定するものとは正反対の概念で、要するに幸福に対する抵抗という意味です。


注2
「反応」…「抵抗」に直面した時に出る症状。眠気、あくび、その他、心身の変化。


注3
:実際に治療として行う場合にはコツや注意点があるので、書籍を熟読するか実際に指導を受けてから始めて下さい。
笠原氏の心理療法については『本心と抵抗』に詳しく書かれています。

■ 幸福否定の研究 10 幸福否定の発見と心理療法の確立までの経緯3
今回から、笠原氏の心理療法の出発点となった小坂療法を論じますが、まずは小坂医師、笠原氏が治療法を作る上で用いる方法論…実証主義について説明します。
当時の小坂の教えで、今なお、私の考え方の中に色濃く残っているのは実証主義(注1)という研究姿勢であろう。(略)患者の病歴や発病前の出来事などの情報が、ある程度にせよ得られた場合には、それから推理した事柄を、実際に症状を示している患者に口頭で指摘する。あるいは、そうした情報がほとんどない場合には、全くの徒手空拳で患者と対面し、記憶が消えているはずの、発病直前の出来事を探り出す。

いずれにせよ、それによって患者に何らかの反応が起これば、その反応を手がかりにして面接を進めてゆく。そして、原因と目される出来事が患者の意識に浮かび上がると、それを強く否定しない限り、その瞬間に分裂病の急性症状が一掃される。このような手順を踏むことにより、その出来事が、その時の心理的原因に関係していたことが確定されるのである。

私は、心理療法の経歴の最初にこのような経験をしていたために、何らかの手段によって、現実に症状を消すことこそ、心理療法に欠くべからざる条件であると、当然のごとく考えていた。それができなければ、何を心理的原因と言ったところで、単なる推測の域を出ず、その当否を確認することはできない。(「幸福否定の構造」/ P57~P58)

冷静に考えれば信じられない話なのですが、現在行われている心理療法、カウンセリングの殆どは、患者を治す、という事を前提にしていません。多くの精神科、心療内科の医師は患者の状態を聞いて投薬をし、症状を緩和することを目的にしています(注2)。

そこから一歩進んでカウンセリングを行っても、治すというよりは、病気との付き合い方を相談するような面接ばかりだと聞きます。数々の心理療法もありますが、それでさえ患者の環境(主に家族の状態、人間関係など)や性格の傾向を知るという範囲にとどまっているのが現状ではないでしょうか?

また、病気の再発を繰り返す場合は、本人も治ると思っておらず、家族や周囲も、どうやったら治るのか?ではなく、どう付き合えばよいのか?という、いわばマニュアル的なものを求める傾向があります。

比較的正常の範囲内にいる軽い疾患の患者は、自力で立ち直るので、一時的に症状を和らげる投薬も役に立ちます。しかし、精神疾患の症状がある、ない、にかかわらず、人間関係がうまくいかない、自虐的な傾向がある、などもともと人格的に大きな問題を抱えている患者は、投薬によって症状が緩和したところで社会生活がスムーズにできるようにはなりません。

小坂療法の小坂医師、そして小坂療法を発展させ独自の心理療法をつくった笠原氏が他の医療従事者たちと異なる点は、大前提として根本的な解決、もしくは根本改善(途中で治療をやめても後戻りしない)を目指しているという点です(注3)。そのためには、症状が実際に変化したり、病状が本当に改善しなければ意味がありません。

実証主義という方法論をとる場合、治療者や患者が腑に落ちるかどうかは関係なく(正確に理解すれば誰でも行える)、客観的な指標を持つ方法で症状や病状に変化が起こるか否かが重要になります(小坂医師、笠原氏の場合の客観的な指標は”反応”)。

一例を挙げると、親子で料理をしていた際、子供に症状が出て、喧嘩になったというケースがありました。治療者が原因を疑っていた親子関係の話では全く反応がなく、たいした事ではないと思っていた料理の話をしている時に患者があくびをしたり、落ち着かなくなったりなどの反応が起きれば、料理の話に注目します。

治療者は、最初は意味が分からなくとも、患者の反応のみを追いかけます。
親子関係ではなく、料理に関係する事なのか?

そうすると、料理の出来栄えが以前と違うのか?

料理の好みが変わったのか?

そうした周辺事象から、反応を探っていきます。
反応を追い続けると次第に症状が強くなっていくのですが、あるところまで追うと急にそれが軽くなったり、消失するという現象が起きます。上記の例では、料理がうまくなった、という話で反応が強くなり、親が初めて子供に任せたという事を(患者である子供が)思い出した途端に症状が消失する、という経過を辿りました。
反応のみを指針にし、原因を探ると、以下の結論が導き出されます。
原因となった出来事=料理を任せられた事。

その否定=症状が発生し、親と喧嘩になった…親は、子供に任せる事によって、間接的に料理が上手くなったと指摘している。(患者本人に、料理が上手くなったという記憶や認識が消えているかどうかを確認してみたところ、自覚はなかったが、言われてみるとその時作っていた料理は親よりも上手いかもしれない、と答えた)。
しかし、客観的な指標を使っても、治療者側に抵抗が働いていると症状消失を無視してしまうことになります(”料理がうまくなる事が症状の原因になるはずがない”と頭から決めつけてしまう)。
実証主義の場合には、原因として考えやすいか考えにくいかは関係ありません。客観的証拠として使える “反応” のみを指針とします。
その結果(=反応の観察)、症状が出る直前の出来事は本人にとって幸福であると考えられるケースが多く、笠原氏は幸福否定という概念を見出すに至りました。逆に言うと、現在行われている精神科、心療内科の治療では、患者の症状や病状に注目しようとせず、また何の客観的な指標も持たないため、”こういう理由だろう”という思い込みを積み重ねて(注4)袋小路に入り、治す事を放棄してしまっているように見えてしまいます。
私も追試を行う上でこれまで何度か笠原氏に注意されているのですが、考えやすさや分かりやすさ、または過去に経験したパターンを優先してしまい、どんなに腑に落ちない理屈であろうとも反応を追いかけ続ける、というを原則を忘れる事があります。反応を追い続けるのは至難の業なのですが、ここで方法論を間違えてしまうと、正解から大きく外れてしまう事になります。
さて、小坂療法に入る前に、最も重要な「目的(治す事)と方法論の違い」について述べましたが、次回は小坂療法自体をもう少し詳しく解説したいと思います。

(続く)

注1:笠原氏が、よく混同される、と言っていましたが、論理実証主義ではありません。
注2:症状の緩和のための投薬が目的となっているため、現在の精神科、心療内科では他の科と違って診断が曖昧になっているようです。行く先々の病院で違う病名がついたり、出す薬が違うという事は日常茶飯事のようです。
注3:以下に例を示しておきます

治療ではなく慰める事が目的=圧倒的多数のカウンセリング

患者の傾向をつかむ目的=数々の精神分析、心理テストなど

投薬以外の手段で症状を消す目的=TFT療法、EFT療法、行動療法など(筆者はTFT療法の追試をしていましたが、確かに症状が瞬間的に消える事があります。しかし、重度の場合にはすぐに元に戻ってしまうので、小坂療法や笠原氏の心理療法に比べると あくまで症状の一時的緩和で、根本的な人格の変化は起こらないと考えています)

患者の人格や考え方の改善が目的=内観法、森田療法など

その他=催眠療法など

注4:ストレス、もしくはトラウマが原因とされてしまいます。

この投稿へのコメント

コメントはありません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

この投稿へのトラックバック

トラックバックはありません。

トラックバック URL