幸福否定の研究 14~16 幸福否定の研究と心理療法確立までの経緯

■ 幸福否定の研究 14 幸福否定の研究と心理療法確立までの経緯7
前回までに、笠原氏の心理療法のもとになった【小坂療法】自体の解説と、「小坂療法が続けられなくなったいきさつ」を書きました。
・「反応を追いかける」

・「症状の直前の記憶が消えている出来事を探る」

【小坂療法】は以上の2点を科学的方法論とし、笠原氏もそれを踏襲しています。今回はまず、小坂医師の精神分裂病の原因に対する解釈の変化について簡単に書き、方法論を踏襲した笠原氏の理論と比較してみたいと思います。解釈というものは、実際に抑圧解除が成功した例から推測した暫定的な仮説になります。そのため、症例が増えてくるに従って、理論に絶えず修正が加えられる事になります。それを踏まえた上で、まず、11回に載せた症例を以下にもう一度引用します。
最初は何も出てこなかった。私は念入りにこの数日間の日常を思い出させようとした。しかし、症状に気をとられていた彼の記憶はきわめて曖昧であった。私は受話器を取り上げて、母親を呼び出し、一つ一つ確認していった。しかし、原因に該当しそうなものは何一つとして出てこなかった。受話器をおいて三分ほどしたときに、母親から電話が入った。

これはプールにいき出したばかりのときのことなので無関係と思うがと前おきして、プールで中学時代の友人Xに出あったという報告をうけたことがあるという。私は彼にむかっていった。

「今君のお母さんから電話があってね、君がプールでXという友人に出あったことが影響しているかといってきたのだけれど・・・」

「アッ、それだ」彼はいった。と同時に緊張しきっていた彼の表情はゆるみ、1~2秒おきに神経質に口もとにいっていた手の動きがとまった。

聞いてみると友人のXは、大へん水泳上手の水泳自慢だそうであり、連日のようにそのプールに来ているのそうである。
彼はそこでEを発見すると呼びかけ、以後Eが練習しているわきで、公衆の面前もかまわずに、大声叱咤し、注意し、笑うとのことである。本人にとっては、大へん自尊心を傷つけられることなのであった。そしてある日極端にハッパをかけられたので、次回にいく気がしなくなったのであった。彼には毎回顔をあわせているものだから、母親には別に報告しなかったとのことである。後は一瀉千里であった。彼は足どりも軽く帰っていき、プールにおもむいた。(『精神分裂病患者の社会生活指導』 小坂英世著 p26~27)

症状を軽減・消失させる手続きは、「反応を追いかける」「直前の記憶が消えている出来事を探る」の二点なのですが、どの部分が原因になったか?については様々な解釈があります。上記の一例だけみても、患者の打たれ弱さ、対応の不適切さに対する後悔や自責の念、ライバルの存在など複数の解釈が成り立ちます。
次に、抑圧解除法を治療の中心にした後、小坂医師がそれらの原因論についてどう思考を推移させていったかについて、笠原氏の著書から抜粋してみたいと思います。
…再発の原因は、その出来事自体ではなく、患者がその打撃を受けた時に患者の気持ちを思いやることができない両親の、患者に対する″冷たい仕打ち″にこそあるとされるようになった。(中略)その段階の小坂には、両親に対する患者の逆恨みという概念がなく、患者の言い分をほとんどそのまま受け入れ、徹底的に患者の味方をしていた。(中略)”二四時間診療″という看板を掲げ、自ら保証人になり、患者を自宅の近くに転居させるまでして援助したのだった。(『幸福否定の構造』 p44~45)

…その後、患者の別居からヒントを得た小坂は、それを、患者を自立させる目的で意図的に使うようになるが、親元を離れ、親と連絡を絶って生活している患者にも、やはり再発が起こることがはっきりしてきた。そうなると、その再発は、親とは無関係に、患者自身の責任で起こったことになる。発病の責任が親にあるとする、従来の考えかたの変更を根本から迫られたのであった。(中略)その段階に達した患者たちは、しばしば社会的に容認されにくい発言や行動をそれまでにもまして示すようになった。小坂流に表現すれば、それ以前の段階よりも、分裂病患者の″もちあじ″が表面に出てきた。(『幸福否定の構造』 p45~46)

…私がその存在を知った頃の小坂は、発症に関係した出来事にまつわる、患者の対応の不適切さに対する後悔、自責の念(の抑圧)をその原因と考え、両親の責任ではなく、患者自身の責任を問うようになっていた。興味深いことに、ほとんどの批判者は、これ以降の小坂療法の展開を知らないか、知っていても曲解ないし無視しているように思われる。(『幸福否定の構造』 p47)

次の大きな変化は、患者が陰に陽にライバルと見なす、同性同年の友人たちの存在が大きく取りあげられたことである。自らを極度に卑下すると同時に誇大視する傾向と、それを相補的に関係にある、極度に勝ち負けにこだわる傾向とが、分裂病患者全般にあることは、それまでにも明確に知られていた。(中略)自己尊大視という特性が、ライバルに対する敗北で傷つけられることによって、初発や再発が起こるとされたのである。(中略)私の知る限り、心理療法としての最後の段階の小坂理論は、その一歩先を行くものである。患者は、ライバルたちの存在も自己尊大視の傷つきも、すべて承知しながら、あえてそれを隠し、ライバルに敗北したことによる逆うらみから、両親に復讐しようとする。その時、両親の忌み嫌う分裂病という疾患を選ぶ。つまり、分裂病という疾患自体が両親に対する復讐の手段になっているというのである。(『幸福否定の構造』 p56)
大きな変化で捉えると、最初のうち、小坂医師は環境的なものが分裂病の原因となっていると推定していましたが、次第に分裂病患者自身の人格的な歪みが根本にあるのではないかと考えるようになっていったのです。
では、笠原氏における原因論の推移はどのようなものなのか?

既述の通り、笠原氏は北海道の病院で小坂療法を続ける事ができなくなってしまいます。やむを得ず東京に戻ったあとは、全国から難病患者が集まる、東洋医学的治療を中心とした特殊内科で心理療法を担当するようになります。その科では精神疾患全般の他に、内科の一般的慢性病、難治性皮膚病、末期がんなどさまざまな病気に対しても小坂療法の方法論で心理療法を施しています。(この辺りの経緯は『幸福否定の構造』 p59~62に詳しい)

最初は、分裂病治療の経験を、文字通り、そのままの形で心身症に当てはめることしかできなかった。それは、自分にとってもほとんど未知の世界に、役立つかもどうかも未だにわからないコンパスを持って分け入るようなものであった。(中略)当時、私が使ったのは、小坂が最後に唱えた復讐理論ではなく、そのひとつ前のライバル理論であった。それは、分裂病に対して、復讐理論を適用した例が一度もなかったからに他ならない。(『幸福否定の構造』 p62)
また、この時期に神経症、心身症(検査で異常が見つかる喘息、難知性の腸の病気なども含む)のケースにおいても、心理的な原因に近づくと、例外なく「反応」が出る事が確認されています。(注1)
それまでの私の認識では“抑圧”により症状を出現させるのは、フロイトの言う神経症と、小坂の言う分裂病の二疾患だけであった。ところが、実際にはそうではなく、心理的原因の記憶が心身症でも、同じように全例で消えている事が次第に明らかになったのである。この事実は、本人が意識で原因と考えている事柄は、すべて原因とは無関係であることを示している。加えて、心身症や神経症でも分裂病と同じようなライバルが探し出せることもわかってきた。(『幸福否定の構造』 p64)

その一方で、心理的原因に関係するライバルの存在を探り当てられない例も、続々と登場した。反応を目印にして原因を探り当てても、ライバルどころか、そこに人物が関係している可能性すら考えられないこともあった。(中略)これでは、ライバル理論の当てはまる例が心身症という疾患群全体の一部になってしまう。原因が実際に何種類かあるということなら、それはそれでしかたがない。しかし、本当にそうなのかどうかについては、厳密に検討して明らかにする必要があった。(『幸福否定の構造』 p73)

このように、厳密な検討を重ねながら原因を推定し、修正を加え続ける作業が続けられるわけですが、ライバル理論の段階では、いくつかの例には当てはまるが、いくつかの例には当てはまらないという、不完全な原因論になってしまっています。

ですが、治療の方法と解釈は別物なので、どのような解釈でも、「症状の直前の記憶の消えている出来事を探る」という方法そのものが使えなくなることはありません。

笠原氏は小坂医師の原因論から離れ、厳密な検討を繰り返しながら、「うれしい事が心身症、精神疾患の症状の原因になる」という幸福否定の理論を発見し、「心」が関係する症状全般の原因を説明可能なものにしました。(注2)上記プールの例で言うと、「友人から極端にハッパをかけられた」事が原因になっているのですが、本来、ハッパをかけられることは、本人にとって「ありがたいこと」であるはずなのです。にも関わらず…(筆者の推測になってしまいますが、ここで「愛情否定」の可能性などが浮かび上がります。(注3))

長くなってしまいました。今回はここで終わりますが、小坂医師や笠原氏の、客観的な指標を用いて治療を行い、現実の症例と照らしあわせ、解釈には絶えず修正を加えるという方法論が、現実を置き去りにして解釈が先行する現在の精神医学界の方法とは全く違う事が、解釈の変化を追いかける過程によって分かるのではないかと思います。(注4)

次回は、心因性の症状の部分的な説明が可能であったライバル理論から、全体の説明が可能になる幸福否定理論までの過程を書いてみたいと思います。

注1

…その結果、すぐにわかったのは、症状出現の直前にあるはずの心理的原因を探ってゆくと、心身症でも神経症でも、分裂病と全く同質の反応が観察されることであった。同じ心身症という言葉が当てはまるとしても、自覚症状が中心の、いわゆる自律神経失調症と、現実に気道が狭まって、喘嗚を伴う呼吸困難を起こす気管支喘息や、大腸に難知性の炎症や潰瘍を引き起こす潰瘍性大腸炎とは、医学的には全く異質な疾患である。にもかかわらず、心理的原因らしきものに近づくと、どのような心身症を持つ者であっても、例外なく反応が出現した。(『幸福否定の構造』 p63)

注2

心が関係している疾患の全てを【幸福否定】の理論で説明できるとすると、例外がないのかが問題になりますが、幸福否定の理論や、症状の直前の出来事の関係がはっきりしない疾患の一つに、「癌(がん)」があります。

性格的な傾向や、患者の心理的状況が予後に影響を与える事から、心の働きと関係があることは推測できるのですが、まずがん自体に症状がなく、症状が出た時には手遅れになっている事が問題となります。

症状がではじめたきっかけを特定できても、その時点でがんは相当進行しているので、仮に症状が緩和されたとしても、がんの進行を遅らせる効果がなければ、患者は亡くなってしまいます。

また、がんの患者の性格的な特徴として、「事実を直視する」という事を非常に嫌う特徴があります。つい数年前まで、治療者も患者も、病名を伏せたまま、抗がん剤や放射線などの強い副作用がある治療をするという、他の疾患では考えられない状況がありました。その状況もがん患者の性格的な特徴がなければ成り立たなかった事が推測できます。

当院でも、数名のがん患者の症状(この場合は抗がん剤の副作用も含む)発症前の出来事を探ろうとしましたが、非常に抵抗が強く、細かく聞くと、必ず巧妙に話を逸らされてしまいます。「反応」が出るなら、こちらも努力のしようがあるのですが、作り話など(例えば、その日は一日家に居て寝ていた、と患者が答えても、家族に聞くと外出していた例などがあります)で、原因に近づかないうちに話を終了してしまう事が少なからずあります。

定年退職して数カ月もしないうちに、今まで病気一つしなかった患者さんががんを発病したりと、「幸福否定」が当てはまりそうな例は多いのですが、

・症状の直前の出来事を探る事が、患者さんの性格的な傾向もあり難しいこと
・がんの悪化と症状の発症にずれがあること

これら2点の大きな問題があるため、特定は困難を極め、推測で終わっているのが現状です。

注3

推測は好ましくないのですが、この場合は、一つの原因となる出来事でもさまざまな解釈が成り立つ例として引用をしています。小坂医師の著書では、「ハッパをかけられる」という本来ならありがたい行為が原因となっているケースがそのまま載っているという意味でも、わかりやすいと思います。

実際の心理療法では、推測ではなく、感情の演技を使って厳密に原因の特定を進めていきます。この場合は、友人Xから強くハッパをかけられた事が原因なのは間違いないようですが、

まず、

・友人Xと症状が関係する
・友人Xと症状は関係ない

などの実感を患者につくってもらい反応の強さを比較します。

反応の強いほうを追いかけるのですが、関係があるようなら、「愛情」という側面なのか、「普通(一人前)に扱われている」という側面なのか?関係がないようなら、ハッパをかけられた際に、水泳が上手くなった、あるいはやる気が出てきたなど、何らかの好転を認識させるような会話が無かったか?等を調べる事になります。

注4

現実に起こっている事象よりも解釈が優先されると、「現実が間違っている」という結論が出てくるため、理屈の上では成り立ちませんが、なぜか「解釈優先」になってしまっているのが精神医学の現状です。

■ 幸福否定の研究 15 幸福否定の研究と心理療法確立までの経緯8
前回は、小坂療法の特徴である
「反応を追いかける」
「症状の直前の記憶が消えている出来事を探る
という方法論によって、分裂病の原因論の理論的な側面の発展の経過を書きました。小坂医師のライバル理論までの経過と、ライバル理論では全ての説明がつくわけではない、とした、その後の笠原氏の試行錯誤の段階をまとめましたが、今回もその続きを書きたいと思います。尚、今回で【幸福否定】に辿りつくまで書きすすめる予定でしたが、長さの関係でその手前までとなりました。引用が多くなっていますが、思考過程を省略することができないので、ご理解頂ければ幸いです。
■ ライバル理論で説明できない例
他の心因性疾患と違って分裂病の場合には、初期の小坂が述べているように、現金や物品を落としたことによって、あるいは小さなけがをしたことによって再発する例がある。それが単なる推定でないことは、本人がその記憶を消しており。それを思い出させると症状が瞬時に消えることでわかる。一方、小坂が後に唱えたライバル理論では、分裂病にはすべてライバルが関係している事になっている。しかし、物を落としたり、けがをしたりして再発した例の場合、そこに、隠れたライバルが関与していると考えるのは、かなり難しいのではなかろうか。(『幸福否定の構造』 P74 以下、引用すべて同書 )(注1)

一方、ライバルとの関係を探る中で、私は、ライバルが本人の自宅に来た時の状況に注目するようになっていった。ライバルと本人の母親は、自宅の中で一緒にいたはずである。母親が家の中にいる限り、ふたりは少なくともどこかで対面していなければならない。にもかかわらず、その場面の記憶がなぜか完全に消えてしまっている人たちが、きわめて多かったのである。それでいながら、同じ頃に、ふつうの友人が自宅に来た時の記憶は、母親と対面している場合も含めて、鮮明に残っていた。また、ライバルと母親が、自宅の中で一緒にいる場面の記憶を蘇らせようとすると、ほぼ例外なく、強い反応が起こった。その点に焦点を絞って検討を重ねた結果、ライバルがいるいないにかかわらず、自宅の中の記憶そのものがきわめて不鮮明な人たちの多いことが徐々に明らかになってきた。極端な場合は、現在住んでいる自宅ですら、その中の記憶がほとんどなく、詳細な間取りどころか、トイレや浴室の位置などもわからなかった。
(同上 P83 )

同様の方法で、一部の患者が自宅においての食事の場面(だれがどの席か)、や内容(パンとご飯のどちらが主食かわからない、など)を覚えていないことがあることがわかり、また、自分の家族、特に母親の顔が思い出せない、思い出しにくい人たちが約半数に昇ることがわかってきた。(同上 P84 筆者要約 )

※ 【顔】に関しては自分でも簡単にできるので、興味のある方は同じ事をやってみて下さい。(筆者)

これらの記憶やイメージを意識に昇らせようとすると、多くの場合、眠気を中心に、かなり強い反応が出現した。私は、ライバルとの関係よりも、家族、特に母親との関係を次第に重視するようになった。その結果、ライバルの位置づけも、正反対の方向に変わってきた。本当は自分にとって親友である相手を意識の上では、その対極にある競争相手へと変容させてしまっているのではないか、と考えるようになったのである。ライバルと本人の母親が自宅の中で一緒にいる場面の記憶がないということは、すなわち、自宅に来てくれた親友を母親が迎えた場面の記憶がない、ということであった。そして、母子関係そのものについても、小坂とは正反対の方向から見るようになってきた。さらには、反応や症状についても、これまでのいわば常識的な観点から離れて、独自の視点から眺めるようになったのである。(同上 P84~85)

■ 【不幸志願】について
不幸志願という言葉を使うようになったのは、分裂病以外の心因性疾患を対象とするようになって六年弱が経過した、一九八三年の初頭であった。心因性疾患を持つ人たちは、いろいろな理屈をつけながら、幸福を巧妙に避けたり、不幸を無意識のうちに待ち望んだり、作り出したりする。そのため、本人にとって重要な存在である母親に対しては、どうしても、かなり矛盾した態度を取ることになる。つまり、母子関係がまちがいなく成立しているからこそ、子どもばかりか母親も、それを「すねて」否定してしまうのである。その典型が精神分裂病を持つ人々なのであった。

母親にかわいがられた記憶がきわめて乏しいか、ほとんどない人たちは、周知のようにたくさんいる。(中略)そこで、そのような記憶のない人たちに、幼児の自分が母親に抱かれている場面を「空想」させてみた。自分が母親に抱かれている場面のイメージを、外から見てではなく、抱かれているはずの自分の視点で描くのである。すると、ごく一部の例外を除いて、そのイメージを描くのが非常に難しく、しかも強い反応を伴うことがわかってきた。こうした経験を踏まえて、この頃から、空想という方法を次第に治療の根幹と位置づけるようになった。

また、実際に母親が亡くなっている場合、母親の臨終の記憶がない人たちが多いことにヒントを得て、母親が健在な人たちにも、母親の臨終の場面を空想させてみた。その結果ほとんどの人たちにとって、それがきわめて難しいことも明らかになった。また、実際に母親が死亡している場合、それほどの年月が経っているわけではないのに、葬儀の場面ば かりか、葬儀が執り行われた場所の記憶すら完全に消えている例もあった。そのうち、そのような例に共通して、最も強く消えているのは、母親の死に際して起こる悲しみという感情であることがわかってきた。涙を流した記憶はあっても、それは自分か母親のどちらかがかわいそうだったためであり、 悲しかったわけではないと、異口同音に主張したのである。それは母親に対する愛情を否定しているに他ならなかった。

この当時の私は、心因性疾患の人たちは多かれ少なかれ不幸志願を持ち、その結果として「すねている」と考えていた。
しかし、症状出現の原因については、まだ従来的な考え方から抜け出していなかった。症状については、自分で作りだしたものと見ていたものの、母親に対する逆うらみと関連づけて考えていたのであ る。この頃の私は、復讐理論という陥穽にはまっていたとも言える。振り返ってみると奇妙に感じられるが、不幸志願という考えかたで統一されていたわけではなく、理論的には未だに混沌とした状況であった。(同上 P86~88)

この【不幸志願】に関する以下の部分が、笠原氏が小坂理論から完全に脱却した重要な部分となります。

逆うらみは、言うまでもなく思い込みにすぎないが、そうであったとしても、少なくとも意識下では幼少期から連綿と続いているものと、それまでの私は、当然のように考えていたところが、実際にはそうではな く、うれしいことがあったり、母親の愛情や他人の好意がわかりかけた時に、そのつど、幼少期の出来事を自分の中で引き合いに出して拵える、いわば一時的な作りものではないか、と考えるようになったのである。

ただし、一時的と言っても、無意識でうれしさが続く限り続く。そして自分の中でうらみと結びつけている症状を、おそらく無意識的な自己暗示によって作りあげ、それにより、そうした愛情や好意を否定しようとするのではないか。それが事実であれば、治療とし ては、問題と思しきものを、過去に遡って解決する必要はなく、現時点で起こった出来事のみを、いわば代表例として扱うだけでよいことになる。この時、PTSD理論の枠組みをー換言すれば、行動主義心理学の精神分析という対極的思想が、呉越同舟的に基盤としてきたものをー乗り越えたと言える。

この時点で、私の治療論は、小坂理論とほぼ決別し、独自の道を歩むようになった。そして、その頃にはあまり意識していなかったが、それまでの常識的な人間観から、非常識的な人間観へと大きく飛躍したのであった。不幸志願ないしは幸福否定は、育てられかたや過去の体験などとは直接の因果関係はなく、人類全体に普遍的な属性だとする考えかたに、もう一歩で辿り着くところまできたのである。(同上 P91~92)

経過を簡単にまとめると、以下のようなものになります。
「ライバルが本人(患者)の自宅に来た状況に注目するようになる。ライバルと母親が一緒にいる場面の記憶が消えている患者が多い。また、自宅の中そのものの記憶が不鮮明な患者が多い」

→「自宅の中の状況を探ると、患者の約半数が母親の顔を思い出せない。」

→「ライバルよりも、母親との関係を重視するようになる。」

→「母親にかわいがられた記憶のない人達に、母親にかわいがられている場面を【空想】させてみると、一部を除いて患者に強い反応が起こった。次第に、【空想】が治療の根幹となる。」

→「もっとも強い反応が起こるのは【母親の死に際して起こる悲しみ】ということがわかった。しかし、この時期は患者が【すねている】と考えていたため、不幸志願という言葉を使う一方、患者の逆恨み(復讐)という考えもあった(違う理論が同居した状態)」

→「逆うらみは幼少期から連綿と続いているものではなく、母親の愛情がわかりかける度に出るという事がわかってきた。逆うらみと結びつけている症状を、うれしさを否定するためにつくりあげている一時的なものではないかと考えるようになった。過去(幼少期)に遡って解決することが不要となった。」

→「過去の精神的な打撃に原因を求める、PTSD理論を乗り越えた。小坂医師の分裂病の原因論とも決別し、幸福否定に辿りつく一歩手前まできた。(注2)」

ここで私自身の経験と比較してみたいと思います。笠原氏の理論を咀嚼する以前は、治療院で患者さんを観察した結果、以下の二点が非常に目立つことから、【病気は自分でつくっている】、【病気のままでいたほうが都合が良い患者さんがいる】と考えていました。
・何かが良くなると、何かが悪くなる。
・良くなりはじめると、途端に治療を中断し、悪化すると再び来院する事を繰り返す。
私はこの時、【疾病利得(病気のままのほうが得をする)】と、患者の自虐性を考えていました。その代表が人格障害の患者さんでした。漠然と【幸福否定】【不幸志願】に近い考え方をしていたのですが、あくまで対象は一部の患者であり、一つ一つの症状の原因を確認するという手順を踏んではいませんでした。
治療法としては笠原氏の心理療法をそのまま行えば良いので、小坂療法からの経緯を重要視していませんでしたが、最近は、がんなどの、どこまで心が関わっているかがわかり辛い疾患に応用したり、病気以外の事への応用が増えたため、この方法論や、紆余曲折の過程を理解することが非常に重要なことだと感じています。
また、私の場合は観察事実だけで解決方法を見つけるという事にはならないのですが、小坂医師、笠原氏と科学的な手続きを正確に行う事により、解決に向かう非常に大きな成果を得ている事がわかります。仮に先行者が解決できなくても、後に続く者が発展させることができるので、科学的な方法論がいかに重要かという事も痛感させられます。この方法論を徹底すれば、他分野への応用も利く大きな可能性を秘めている一方、だからこそ実行が極めて難しい、という事もわかってきました。
私自身が、【一部の病気は自分でつくっている】と考えだしたのが2003年頃なので、治療家になってから約3年しかかかっていないのに、科学的な方法論を通じて確認する事に約10年を費やしても完全ではない、という事実も難易度の高さを物語っていると思います。
さて、少し話が逸れましたが、次回はいよいよ【心因性の症状全般が幸福否定である】という、【幸福否定】の理論が完成するまでの経過を書きたいと思います。(つづく)
注1

私も、統合失調症近辺の疾患の患者さんの心理療法で、小さなトラブルが症状の引き金になっていることは何度も経験しています。重度な疾患に限らず、仕事であれ、私生活であれ突発的なトラブルに対応できない患者さんは、一人でパソコンを使用中に症状を起こす事もあります。重度の場合は、英語表示の広告を押してしまった、勝手にアダルトサイトに飛んでしまった、アカウントが使えなくなった、画面がフリーズした、などが引き金になることもあります。この場合、“臨機応変に対応する”という事ができない患者さんが多いのですが、職場では小さなトラブルに対応できず、家では対応できるのであれば、“臨機応変”に対する幸福否定よりも、仕事に対する幸福否定を考えます。

注2
笠原氏は、疾患の原因、人間観の解釈は小坂医師の理論と決別しましたが、治療の方法論は小坂氏の方法を踏襲しています。
■ 幸福否定の研究 16 幸福否定の研究と心理療法確立までの経緯9
前回は、笠原氏が治療の方法論として【空想】という手法を用いるに至った経緯と、分裂病の症状を引き起こす原因の解釈として【ライバル論】から【PTSD理論】、そして【幸福否定】の一歩手前に辿りつくまでの過程を書きました。
今回は、【感情の演技】という治療法と、【幸福否定】の理論が完成するまでの過程を書いてみたいと思います。
=治療の方法論の確立=
感情の演技という、私の治療法の根幹となる方法を用いるようになったのは、一九八四年の一〇月であった。それまで使っていた空想という方法でも、感情を作らせることがなかったわけではない。しかし、感情の演技では、感情自体を重視するようになり、場面のイメージではなく、まさに感情を作らせることに焦点を絞ったのである。

ほとんどの場合「病気が治ってうれしい」「目標が達成されてうれしい」「母親に愛されてうれしい」、「自分が幸せになってうれしい」、など、素直なうれしさを作らせるが、稀には、「母親が死んで悲しい」などとして、悲しみをつくらせることもある。空想的な方向や、物語を発展させる方向に流れるという逃げ道を封じさえすれば、いずれもかなり難しく、あくび、眠気、身体的変化という三種類の反応のいずれかが出現した。

時間の長さは、試行錯誤を繰り返した末、二分と決められた。(中略)通常の集中なら、訓練を重ねれば、かなり上達するようになる。しかし、感情の演技の場合はそうではない。二時間程度なら雑念なく集中できるほどの瞑想の達人であっても、感情の演技ということになると、わずか二分の集中を続けるのが難しかった。(中略)感情の演技を効果的にさせるためのこつも、次第にわかってきた。
それは、ひとことで言えば、感情を作るのがなるべく難しくなるような条件を積極的に設定させるということである。できやすくなるように工夫することが、一般に言われるこつであるが、感情の演技の場合には、抵抗が起こりやすくなるように、感情を作らせることを通じて、幸福に対する抵抗に直面させ、それを弱めることが、治療に直接つながるからである。(『幸福否定の構造』p92~94  以下引用すべて同書)

小坂療法では、【反応】の位置づけはあくまで原因を探る目安でした。【反応】を頼りにしながら、症状が出現した時の出来事で記憶が消えている部分を探る事がそのまま治療になるという事でしたが、この方法では、患者が【イヤラシイ再発】と呼ばれる状態になると効かなくなってしまうという、大きな問題点がありました。
また、症状が出ないと治療ができないということになるので、患者からすると積極的に自分を変えていくということが難しいと言えると思います。笠原氏の心理療法では、症状の直前の原因を探る過程での反応、空想をつかっての反応、実感をつくって抵抗に直面し、それに伴って出る反応、と、積極的により強い抵抗に直面するように方法を変化させています。
=原因についての試行錯誤=
【症状の直前の出来事で、記憶が消えている部分を、反応を目安に探ってゆく】という小坂療法の手法で、治療と同時に症状の原因を探っていた笠原氏ですが、心因性症状の発症原因は、ライバルの存在と勝ち負けが関係している、という「ライバル理論」では説明できない例も多数出てくることがわかってきました。

以下の例は、その試行錯誤の過程です。

一九八一年七月、三〇代前半の女性教諭が頭痛とめまいを訴えて、心理療法を開始した。(中略)三週間ほど前から症状が起こっているというので、まず、その頃に起こった出来事を細かく聞き出した。まもなく、高学年の児童を集めた朝の集会で、自分がリーダー役を務めたことを思い出した。そのことが意識に昇った瞬間、軽い眠気とめまいが一過性に起こっている。(中略)その高学年集会では、集まった児童全員に、計画通りあるゲームをさせた。ところが、予想に反して、それがかなり長引いた。そこで、続けて一時限目も使うことになったが、今度は、逆に二〇分ほど時間が余ってしまい、本人は、そこで立ち往生してしまう。そして、「どうしていいかわからなくなり、深く突き落とされた感じ」がして、そのしばらく後に、強い頭痛とめまいが起こったのであった。

しかし、その症状が出る直前の時間帯については、よく覚えていなかった。その時間帯に起こった出来事の記憶は、数回後の面接で意識に浮かび上がった。

それは生活指導主任の男性教諭が、急遽壇上に登って、学内での注意事項を子どもたちに向かって話し始めたという出来事であった。それまで、その記憶は本人の意識から完全に消えていた。頭痛はその直後に起こっていたのである。したがって、この男性教師のおかげでまさに救われたのであって、そこで悪いことが起こっていたわけではなかった。この出来事については、ライバルとの関連でも二年近くにわたって詳しく検討している。しかし、ライバル関係は、その症状の真の原因とはほど遠いことが結果的に判明した。また、男性教師が割って入ったことで本人の面目がつぶされたなどの通常の解釈も、この場合、成立しなかった。(同上、p88~89)

二年間、夏休みにはほぼ毎日、面接を続けて徹底的に原因を探ったようですが、【幸福否定】という発想自体がなかったため、この段階では原因はわからなかったようです。但し、症状は【直前の出来事を思い出せば改善する】ので、最初の数回の面接でおさまっています。

このような、原因を探る徹底した作業が、【幸福否定】の発見に繋がっていきます。
症状とは、何よりも自分の意識を説得する手段なのではないか、と初めて考えたのは、一九八四年の六月であった。しかし、うれしさの否定から症状を作るという考え方には容易に辿り着かなかった。不幸志願ないし幸福の否定という考えかたをとっているのであれば、心理的原因についても、幸福の否定という視点から考えるべきである。ところが、その時点ではそういう着想に到らなかった。このふたつがようやく結びついたのは、六ヶ月後の一二月末になってからであった。ただし、最初の頃は、そうした事例は例外的なもの考えていた。後述するごく一部の特殊な例を除いて、すべての症状や異常行動の発生が幸福の否定に関係すると考えるようになるまでには、もう少し時間が必要であった。

この発見は、私の心理療法理論を、さらには、私独自の人間観を打ち立てるうえで、最も大きな転機となった。そして、この時点で、いわゆる心因性疾患ばかりではなく、登校拒否や引きこもりなどの行動異常も、同じメカニズムで起こるころがわかった。さらには犯罪なども、同じ幸福否定という概念で説明できるのではないか、と考えるようになったのである。

幸福の否定によって心因性の症状が出現すると考えると、先ほど紹介した女性教諭の例も、非常にわかりやすくなる。その男性教師の好意を、あるいは同僚たちから自分の存在が尊重されていること素直に喜ぶべきであったのに、幸福否定のために、それができず、その結果として、その出来事の記憶を消し、うれしさを帳消しにする形で症状を作ってしまったということである。

現在の精神医学の枠内で、心理的要因が発症に関与しているとされるのは、うつ病を除けばひとつもない。うつ病が好発するのは、結婚、出産、就職、昇進、家の新築といった、通常は幸福なはずの状況とされているのである。

しかし、このような見かたは誤解を招きやすい。心理的原因に関係する事柄は、本人にとって、心理的出来事として重要であるのはまちがいない。しかし、うつ病の発病状況について言われているのとは違って、実際には出来事そのものの規模や社会的重要性が大きいとは限らない。それどころか、小さいもののほうが圧倒的に多いであろう。

いずれにせよ、この時点で、心理的要因が関係するものであれば、どのような問題や状況であっても、幸福否定という考えかたで治療や対応ができることがわかってきたのである。(同上、p96~98)

このようにして、小坂医師、笠原氏と、数十年に渡って【症状の直前の出来事を探る、反応を追いかける】という作業を続け、また、反応を追いかけることを応用し、感情の演技という治療法を開発し、不可能とされていた分裂病の治癒まで達成することになります。(注1)

また、他の精神疾患はもちろんの事、がん(二例)やその他の、心が関係する病や異常行動の改善、治癒例が非常に多岐にわたり存在するのですが、人間の本質をついた治療法であるがゆえに、患者さんにとって非常にハードルが高いという側面があります。

以上を踏まえた上で、次回は、私が4年間の追試をした結果を中心に、この治療法がどのような性質を持つのかを書いてみたいと思います。

(つづく)

注1

当然のことながら、患者にとっては非常に難易度の高い治療法になるので例は多くはありませんが、難易度が高くても不可能とされていた疾患に、一つの根本解決の道を提示した事は非常に大きな事だと言えると思います。

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